写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

コダック・オートグラフィックフィルムを分解する

フィルムカメラの時代に撮影時のさまざまなデータをメモ書きできたらどんなにいいだろうかと考えるのはごもっともなことです。デート機構でも、初期の段階では実際の時計を写し込んだり、リスフィルムに白抜きされた文字を豆電球で照射させて乳剤面に結像させたり、オートデートになり7セグメントのLED文字をフィルムベース側から発光させたり、LEDのキャラクタージェネレーターで文字を焼き込んだり、LCDマスクの文字をフィルムベース側から焼き込んだりとさまざまな技巧が凝らされてきました。これらはいずれも1970年代から1990年代に完成されたものでした。

ところが、それをさかのぼる1914年に、コダックはオートグラフィックフィルム(autographic Film)というメモを記入できるフィルムを発売しました。最も知られているのはベスト・ポケット・コダック(VPK)で、当時発売のものにはオートグラフィック機構が組み込まれていました。このオートグラフィック機構は、当時のコダックカメラにはほとんど取り付けられたようで、VPK用の127フィルムではA127と頭にAが振られオートグラフィックフィルムであることを示していました。VPKカメラは、昨今のベス単フード外しに使われるほどよく知られていますが、その裏蓋に付いている鉄筆はどのように使ったらいいのだろうか? そのために使うA127フィルムとはどんなフィルムで、どのような仕組みでメモ書きができたのだろうかと疑問がありました。それというのも127フィルムは現在でも旧東欧圏のフィルムがわずかに発売されていますが、オートグラフィックフィルムはほとんど現物を見たことがないという現実です。
そんなときに、以前このブログでも紹介したことがある伊藤二良さんが同時代のオートグラフィック付き122フィルムの分解を皆の前で行うと聞き、早速見せていただきました。122フィルムは3・1/4×5・1/2インチの画面サイズをもつ、No.3Aスペシャルフォールディング・コダックなどに向けたフィルムで、1903〜1971年まで作られていました。オートグラフィックの機能並びに仕組みはA127とまったく同じはずです。

当日、俎上に上がったのは「現像期限1930年、11月」の6枚撮りで、感度は記されていません。つまり製造後80年以上経ったフィルムだというわけです。そして分解してわかったことは、現在と異なり裏紙そのものには遮光性はなく、フィルムと裏紙の間にあるカーボン紙に遮光性がもたされていたということです。カーボン紙ですから黒く、遮光性は十分にあると思われますが、そのからくりは意外でした。カーボンが付着しているのは裏紙側で、裏紙の上からカメラ付属の鉄筆で文字を書き込むわけですが、書き込みにより裏紙にカーボンが転写することになり、その部分のカーボンが薄くなるので、鉄筆でなぞったところに文字が焼き込まれるわけです。そしてオートグラフィック装置の蓋を開いたまま露光をするわけですが、晴天戸外で2〜5秒、曇天戸外で5〜10秒ほどの露光が必要だったようです。露光終了後は、鉄筆を収納しオートグラフィックの蓋を閉め、裏蓋の赤窓を見ながらフィルムを巻き上げ、適切な場所で、またメモ書きが行えるわけです。
☆製造後80年以上経ったフィルムの乳剤塗布面は意外ときれいで、保存状態の良さがうかがえます。そして、つい癖で、開けたばかりのフィルムの乳剤面はどんな臭いがするのだろうかと嗅いでみましたが無臭でした。また、乳剤面は撮影時にカーリングがひどいのでウエイトを置きましたが、撮影時の光があたる所はすぐに変色しました。つまりまだ感光性があったわけです。そしてフィルムとカーボン紙を裏紙に貼り付ける粘着テープはまったく粘着性はありませんでした。オートグラフィックは、現在のペンタブレットによる文字書きにも通じるところがありますが、その登場は知られていても、現存するフィルムは少なく、意外と短命に終わってしまったのではないでしょうか。その理由は、いまとなってはわかりませんが、乳剤技術の進歩による高感度化、裏紙付きフィルムそのものの限界などからでしょうか。そんな時代の技術動向を推測するのも楽しいことです。