写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

カラープリントに思うこと

 知り合いのKさんから退色したカラープリントがあったら貸して欲しいと頼まれました。そういえばKさんには、以前にも退色したカラーリバーサルフィルムを貸してあげたことがあります。何も僕は退色フィルムや退色プリントのライブラリーをやっているわけではない(^o^;)のですが、物持ちがよいせいか、いくつか身近にあるというわけです。そのとき引っ張り出したフィルム束が、ちょうど1964年頃のものでした。そこで今回は1974年のカラープリントを用意しました。なぜ1974年か、特別に意味があるわけではありませんが、その時代の各種カラープリントを半年ほど前にチェックしていたので、近似した時期のものに退色したプリントがあったのを確認していたわけです。この1974年というのはどんな時代だったのでしょうか?。直前の1972年にコダックが13×17mmと極小画面サイズの110カメラシステムを導入し、フィルムも微粒子のコダカラーIIとなり、現像処理も現在に続くC-41プロセスになりました。このIIタイプフィルムにはDIRカプラーという現像抑制剤が採用され、微粒子化が大きく図られカラーフィルムが大きく進歩した時期でもありました。そして1974年には、コダックの135と120もIIタイプフィルムになり、国産のフジとサクラもIIタイプとなった年です。
 さて探し出した、カラープリントはみごとに変退色していました。エッジに年代がプリントされているので、1974年であることは間違いありません。ということは38年前のプリントであるわけですが、ご覧のように明らかにイエローとシアンが退色し、マゼンタ主体の画像になっています。それでは保管条件はということになりますが、写真店で同時プリントしたときにもらった、紙に薄い透明セロハンで仕切られたポケットアルバムです。すべてのサービスサイズプリントをこのアルバムに入れて、一連のアルバムと一緒に戸棚の中にしまっておいたのですから、条件としては決して悪くはないと思うわけです(それにしても38年前の僕は若いです)。
 もちろん保管条件が変われば退色の度合いも大きく変わります。ほかの写真で、プリントを束にして天袋に入れておいたのは、スルメのようにカールしてひび割れし、色もほとんど消え、かろうじて画像が認識できる程度というのもありました。このような状態に至るのには10年もかからなかったと思いますが、屋根からの照り返しの温度がもろに影響したと思うのです。ま、我が家で強制劣化試験を行ったようなものですね。いずれにしても、なんだかんだといっても写真というか、色素で画像形成されるカラープリントは退色するのは致し方ないことです。もちろん、銀画像で画像が形成されている黒白フィルム、黒白プリントは別ですが、最近は現像後の黒白フィルムそのものが加水分解し酢酸臭を発し崩れていく、ビネガーシンドロームという現象も話題になっていますが、基本的には銀塩の黒白プリントは所定の条件を満たしていれば、バライタであろうとRCタイプであろうと長期保存に耐えられることは歴史が証明しています。
 ずいぶん前置きが長くなりました。でもカラー写真の退色を話題にして、単に現実だけを見せるのではこのブログの主旨に反するわけです。ということなのですが、実は昨年「画像学会」というところで、1970年代の新画像技術についてお話しする機会があったので、マイハードコピーコレクションを整理したのです。1970年頃というと、各社からさまざまなカラープリント技術が発表された時代でした。
 主だったところをピックアップすると、1968年米3M社カラースライドプリンター「カラーインカラーI」を開発、1971年に東芝-阪田商会が「カラースライドプリンター」を開発発表、1972年富士ゼロックス社「ゼロックスカラー複写機」を展示発表、1972年ポラロイド社「SX-70」システムを発売、1973年日立製作所「日立カラー複写機」を発売、1973年リコー「リコーカラースライド複写機」(プリンター)を東京ビジネスショーにて展示・実演、1973年キヤノンキヤノンNPカラー」複写機を発表、などとさまざまなカラープリント方式が発表されました。ポラロイドSX-70銀塩写真方式ですが、そのほかはいわゆる電子写真方式でありました。カラースライドプリンターで、僕がオリジナルのサンプルプリントを見たのはリコーと東芝でした。リコーのはきれいでしたがサンプルプリントをわけてもらうことはできませんでした。東芝のはカラースライドからのプリントを何点かやってもらうことができましたので、当時のポジ-ポジプリント、インターネガ方式のプリントを加え今日まで大切に保存し、この間40年以上経った今日、おもしろいことが見えてきました。

 当時、電子写真方式のカラースライドプリンターで発売されたのは3M社のカラーインカラーだけで、結局リコーも東芝も発売されませんでした。そして現在手元にある、東芝のプリントを見ると当時もお世辞にもきれいといえませんでしたが、いま見てもまったく当時のままな変わらないのです。これはちょっとした発見でした。それに対して、当時はきれいだったポジ-ポジプリントとインターネガ方式の銀塩プリントは退色の影響を受けてだいぶ変わっているのです。これはやはり当時、スライドからの拡大プリントを可能としたゼロックス6500も同様で当時といまの画質は大きく変わらないのです。ゼロックスのプリント方式は少し変わっていてスライド画像をエクタグラフィックスライド映写機で複写機のスキャン面に投影して、電子写真の弱点でもあったエッジ効果を網点のホワイトスクリーンでカバーすることにより拡大画像を得るわけですが、こちらも東芝同様お世辞にもきれいとはいえないのですが、プリント画質は昔も今も変化ないのです。そこで思うわけですが、銀塩のカラープリントは退色の変化があるのに、非銀塩方式のプリントは色調の変化が少ないのです。電子写真方式のそれぞれ感光体は、ゼロックスがセレンによる乾式で、東芝酸化亜鉛の湿式現像方式であり、リコーが有機半導体によるものでした。
 その後の各種カラープリントを調べてみましたが、ポラカラー(1963年)、SX-70プリント(1972年)、ポラカラー2(1975年)、チバクローム(1974年)などに加え、インクジェットプリント(1983年)、昇華型プリント(1986年)など、いずれも出力当時と現在までも、変退色が少なかったことは意外な(予想どおりの)事実でした。もちろんもちろんこれは1970年代のカラープリントの話であって、その後1984年に登場したサクラカラー百年プリントを機に各社からより耐久性の高い銀塩カラープリントが生まれているのも事実です。そこで、考えたのですが、今までの40年を考えるよりもこれからの40年を考えると電子写真プリントのほうがひょっとしたら長持ちするのではないかとも考えたわけです。そしてじっくりと周りを見渡してみたら、1970年当時から現在まで一貫して同じ技術を写真レベルまで高めたのは富士ゼロックスなのです。いまコンビニのセブンイレブン店頭にあるゼロックスによるマルチコピー機では、電子写真方式のカラープリントをセルフで行なうことができます。これは店頭に、複写機、写真用プリンター、Faxなど複数の機械を置くことができないので、複合機としているわけでしょうが、僕の手元にあるカラープリントの過去の実績からすると、この電子写真方式よるトナーのカラープリントが最も長くもつことになります。
 最近、ある関係から話を聞きましたが、一部の美術館では写真の収蔵作品は黒白銀塩しか認めないというのです。そのためにデジタルで撮影して、インクジェットでネガフィルムを作り銀塩黒白プリントに焼き付ける方式がいま話題ですが、ところが20世紀半ばのフィルム時代から21世紀のデジタル時代まで、写真はカラーが主流なわけです。そして写真はプリントであってこそ、写真として成立するわけですが、この先カラーのプリントでの作品はどのような形で残るのでしょうか、というわけです。最近流行の顔料インクジェットプリントも大いに気になることです。このあたりを専門家に聞くと、染料インクも顔料インクを使うにしても、顔料だから強いというようなことではなく、どちらも変退色するということです。これは、かつての日本画などに使われた天然の顔料とは違い、現在のは合成顔料であり、さらにマイクロ粉砕化されているので変化しやすいというのです。いずれにしてもカラー写真プリントがいつまでも同じ鮮やかさを保つということはないわけで、僕自身もここ50年ほどの間で見てきたさまざまなカラープリントは、早々に消えていってしまった方式のほうが長持ちするというのも事実のようです。皆さんも、ご自身の古いアルバムをこの時期に改めてめくってみたらいかがですか?

注1)ここに掲載したカラー写真は、スキャナーで読み込んみデジタルデータとした時点で色調が変化しています。
注2)2012年9月8日付けの朝日新聞夕刊には「日系人収容所 日本文化鮮やか、第2次大戦期、2世のカラー写真発見」という記事が第1面を飾っています。これによると撮影者ビル・マンボさんは“スライド用のポジフィルムを使っていたため、60年以上たっても写真の色合いは鮮明で……”と紹介されていますが、これは事実でしょうが、スライド用ポジフィルムのコダクロームを使ったというのが正しい記述だと僕は考えます。カラーリバーサルフィルムには、発色方式の違いにより外式と内式があり、外式であるのが「コダクローム」(1935年、米コダック社が発売)で退色性に強く、内式は「エクタクローム」(1946年、米コダック社が発売)に代表されますが退色性は強くありません。ビル・マンボさんによる撮影は1942年ですので、エクタクロームはまだ発売されていません。また内式カラーポジフィルムは1936年に独アグファ社が「アグファ・ノイ」を発売していますが、米国内収容所で敵製品を使うことは考えられませんが、スライド用のポジフィルムが退色に強いということはいい切れないわけです。今回、1942年頃のカラー写真が鮮やかに保存されていたことは、過去の写真理論を裏付けることであり、撮影されていた内容は歴史的にも大変価値あるものだと思います。いずれにしても外式のコダクロームは2009年に製造終了し、エクタクロームも2012年3月に製造終了が伝えられています。コダクロームの退色性に関しては、僕の写真にこだわるブログでも“いまも鮮やか57年前のコダクローム”として取り上げています。ぜひ参考までにご覧下さい。