写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

思い出を流さない写真プロジェクト

 大震災から半年がすぎたいま、さまざまな写真に関するボランティア活動が静かに行なわれています。すでにこのブログでは、折を見て、身近な方々の活動をわずかながらでも紹介してきましたが、ここで新たな動きがでてきましたので、追加して紹介しましょう。
東京工芸大学被災写真処理センター
 写真の専門大学としての特性を活かし、被災した写真処理に特化したプロジェクト。同大学の畑鉄彦名誉教授が音頭をとり、同大学芸術学部写真学科のある中野キャンパスで、宮城県気仙沼高桑地区の“思い出は流れない写真救済プロジェクト(代表・高井晋次さん)”から送られてくる被災写真を洗浄・乾燥処理して送り返す作業を請け負っていました。この写真救済プロジェクトから依頼された洗浄処理は、全国に広がっており北海道から大坂までさまざまな団体や個人が処理を引き受けたようですが、洗浄対象写真は気仙沼高桑地区だけで125万枚あるとされていました。作業は、学内で募集された学生ボランティアが行っています。こちらでの洗浄、乾燥作業は、単なる水洗・乾燥だけではなく、専門の大学らしく防カビ・硬膜処理を施し(右上の処理工程参照、いままでは救えないとされてきたインクジェットプリントも処理されているようです)、処理洗浄液はそのまま下水に排水せずに廃液処理業者に引き渡すという手順をとっていることです。いずれにしてもカラー、黒白、プリント、フィルムを問わず、画像の支持体はゼラチンであるわけですから、すでに半年を経過し浸水したものは腐敗も進むわけですから、そろそろ処理へのタイムリミットが迫っているようです。

左)被災したフィルム、中)洗浄処理後の乾燥(かなり程度がいい)、右)乾燥後ネガケースに入れられた状態(フィルムベースからすべて画像が流れてしまっていることもあり、まだいいほうのようです。オレンジマスクが流れるとベースはクリアなのです)

左)処理後のプリントを検討し分類、中)プリントの自然乾燥(通常は乾燥機を通していました)、右)救済処置後のプリント(かなり程度のいいグループ)。
 なお、気仙沼のプロジェクトはその後、一般社団法人気仙沼復興協会写真救済班(総括責任者・高井晋次さん)となり、気仙沼階上(はしかみ)中学の写真処理は終えたので、現在、東京工芸大学被災写真処理センターでは、宮城県名取市閖上の「ゆりあげ思い出探し隊」(責任者:新井洋平さん)の処理を行っています。
陸前高田市立博物館被災資料デジタル化プロジェクトチーム
 陸前高田市立博物館は3.11の津波に襲われ、学芸員ら職員6名が死亡ないしは行方不明となり、建物は壊滅状態で、資料の流失など甚大な被害を受けました。その現場に、岩手県学芸員有志が出向き、動植物関連、民族系等多岐にわたる博物館収蔵資料写真の一部を回収。これら写真関連資料や各種資料台帳は、業務上関連のあった東京の早稲田システム開発株式会社に送られ、写真知識を持つ有志に協力を依頼。そこから「陸前高田被災資料デジタル化プロジェクト実行委員会」が結成されました。海水や砂にまみれた写真の洗浄、乾燥、デジタル化に必要な技術が同社にないことから、同社は岩手県立博物館の許可を得て博物館・美術館、図書館、文書館、公民館の被災・救援情報をとりまとめる「Save MLAK」の会合にて報告し、協力者を募りました。その結果、写真資料専門の学芸員有志が集まり、その後プロラボなどの専門家がアドバイザーとして加わり、プロジェクト実施体制が整いました。しかしそれらを処理する場所は、都内各所の行政などに提供をあたりましたが、ことごとく断られ、たまたま東京工芸大学に被災写真処理センターができることの情報を得て、処理場所提供の協力を芸術学部長の内藤明教授に申し出て、学内の慎重な審議の結果提供されることが決まり、「東京工芸大学被災写真処理センター」とは別に、同じキャンパス内で「陸前高田被災資料デジタル化プロジェクト」として処理がスタートしました。処理スタッフは、東京都写真美術館、日本カメラ博物館などの写真専門職学芸員のほか有志が集い、早稲田システム職員も加わって、水曜日の夜、土曜日の終日に作業が行われています。(※右上の写真は、それぞれが仕事を終えた夜に集い被災写真の修復を手がけるボランティアグループがいると聞き、意気に感じて激励に訪れた写真家の細江英公さん)

 左)陸前高田から送付されてきた被災資料は、腐敗の進行を遅延させるために協力のプロラボから提供された冷蔵庫に保管されています。中)被災したファイルは、とりあえず乾燥させています。右)コダクロームのカラースライドを歯ブラシで清浄。マスク、ゴム手袋の着用は必須条件です。これらの写真ならびに資料は最終的にはデジタルデータ化されます。
◇震災後日数を重ねるごとに被災写真救済の難しさがでてきました。すでに一部新聞などで報道されているように、写真返却の展示場所が日常生活の復帰に伴い、本来の場所として使われることなどの要求もでてきており、復旧された写真の置き場がなくなるとの問題なども出てきています。これらのためにはスペースをとらないようにとプリントのデジタル化も考えられ、さらに検索閲覧もWeb上で行うなどの考えもでてきているようです。すでに気仙沼の“写真救済プロジェクト”では感材メーカーKからプリントからのデジタル化のためにスキャナーを15台提供受け、作業が進行しているようです。また、一方で「陸前高田被災資料デジタル化プロジェクト」チームの作業は、年内では処理しきれないほどの被災資料があるとのことで、作業はかなり長期化しそうな気配があります。さらにこれらの団体が対象になるかは僕にはわかりませんが、カメラ映像機器工業会(CIPA)と日本財団が、写真や映像記録に関する活動団体を支援します! 写真・映像の力で過去と未来をつなぐ「CIPAフォトエイド」として7月25日から10下旬に応募すると、写真や映像記録のメディアアーカイブ作成に係る支援(原則上限500万円)などがスタートしました。いずれにしても、被災写真の救済にはじっくりと末永い支援が必要なことは間違いないようです。