11月18日(土)“もうひとつの日本カメラ史”講演会「1:戦中・終戦直後編」には、100名近くの方においでいただき、ありがとうございました。
次回、1018年1月21日(日)「2:露出とピントの自動化がもたらしたもの、デジタルまで」では、私が写真業界で仕事してからの実体験に基づく話をメインとして構成。多数のご参加をお待ちしております。
〈撮影:神原武昌さん〉
日本カメラ博物館では、2017年の10月24日〜2018年の2月18日の約4か月にわたって特別展「世界を制した日本のカメラ」展を開催しています。これに合わせて、副題でもある“−もうひとつの日本カメラ史−”をテーマに講演会が開かれます。
展示内容に関しては、すでにデジカメWatchで詳しく速報されていますので、そちらをご覧ください。
■「もうひとつの日本カメラ史講演会」
講演会は、私、市川泰憲が講師を務め、11月18日(土)「1:戦中・終戦直後編」、1月21日(日)「2:露出とピントの自動化がもたらしたもの、デジタルまで」と題し、2回にわたって開かれます。
第1回目は、戦後に隆盛を迎えた産業と思われがちなカメラ工業は、戦中・戦後を通してすでに60社を超える多数のメーカー存在していました。そこで、当時はどのようなメーカーにより、どのような地域で、どんなカメラが製造されたか、ふだんは日の目を浴びない、今は忘れられたスプリングカメラや二眼レフ、豆カメラ、レンジファインダー機、創世記の一眼レフなどに焦点をあてて紹介します。加えて、戦後日本の輸出産業の花形であったといわれながらも、輸出にあたってはMade in Occupied Japanと表記せざるを得なかった時代、日本メーカー単独の名前でなくバイヤーズブランドで輸出した時代のカメラ、60社も超えるカメラメーカーのその後はなど、いままでにない視点で日本のカメラ技術と産業を考察します。
第2回目のテーマでは、カメラ技術進歩の最大テーマであった、露出とピントの自動化について、私が専門誌編集者としてその時代の技術担当者から直接見聞きした、実話を主体に、今だから話せることを交えて、ふんだんに実機の写真や資料を使いデジタルカメラ到来の時代までを紹介します。
2回の講演は、戦後日本の復興に尽くしたカメラ産業において、今日に続くメーカー、消えたカメラ企業など、いままでにない新たな視点で検討を加え、かつてカメラ産業と同様に、世界に冠たる産業であった、造船、鉄鋼、ソーラパネル、液晶パネルなどが後発国に追い抜かれてきたのに対し、今もその確固たるポジションを保っているのはなぜか等、さまざまな角度から解明を試みます。
<講演会開催>11月18日(土)、1月21日(日)<開催時間・場所>13時〜15時、JCII会議室<申し込み>要電話予約03・3263・7110<受講料>各回300円(カメラ博物館見学料も含む)
■JCIIクラブ25“『写真工業』と日本製カメラの半世紀”展
また、日本カメラ財団は、JCIIクラブ25で、11月28日から12月25日にわたってライブラリーが担当して“『写真工業』と日本製カメラの半世紀”展を開催します。
月刊雑誌『写真工業』は、1952年6月北野邦雄(吉岡謙吉)によって創刊されました。北野は東京外語大卒でドイツ語に堪能であり、1939年に光画荘を設立し『光画月刊』を創刊。戦後1951年、西ドイツで開かれたフォトキナを視察して、日本のカメラ技術を世界一の水準に高める必要性を感じ、カメラ企業各社トップに技術者のための発表の場を作りたいということで賛同を得て『写真工業』創刊しました。1954年には「ライカM3」がフォトキナで発表され、4月3日の開催直前に資料を入手し、当時としては驚異的な速さので4月20日発売の5月号に掲載。北野はジャーナリストとしてのセンスがよく、業界企業へのさまざまな影響力を持ち、商品名や企業名へのアイディアを提供するなど活躍していましたが、1961年には光画荘を解散。同年『写真工業』は新たなオーナーを得て「写真工業出版社」としてスタート。以後、2008年6月号をもって休刊するまで、時々の新型カメラの技術情報、テストレポート、フィルムフォーマットの変遷と銀塩写真と非銀塩写真、デジタルカメラなど幅広い意味で誌面を構成してきました。今回の展示では、その時代時代に『写真工業』が向かった写真業界の縮図が凝縮されていて、技術的にブラックボックス化した現在の写真時代にあって、写真を楽しむユーザーにとっては資料アーカイブとして最近注目を集めている写真工業の歩んだ歴史を紹介します。
なお、会期中の12月2日(土)には、約25年間編集長を務めた、私市川泰憲のトークもあります。(展示、トークとも参加費無料)