写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

「アルス」という写真書

 かつてカメラ雑誌(写真雑誌)の編集をやっていたときに、カメラ雑誌の出版社は大きく分けると、新聞社系と民族系があると勝手に僕は分類していました。その民族系とはなあに?ということになるのですが、実は「アルス」という写真雑誌から、何らかの流れをくんだ雑誌を僕が民族系と呼んでいたのです。そのアルスの流れをくんだ雑誌とは、カメラ雑誌のメカニズム担当記者の団体であるカメラ記者クラブが設立された1963(昭和38)年の加盟雑誌と社を見ると、アサヒカメラ(朝日新聞出版局)、カメラ毎日(毎日新聞社出版局)、カメラ芸術(中日新聞東京支社出版局)、日本カメラ(日本カメラ社)、別冊日本カメラ:カメラ年鑑(日本カメラ社)、8ミリシネマン(日本カメラ社)、フォトアート(研光社)、特集フォトアート(研光社)、コマーシャルフォト(玄光社)、小型映画(玄光社)、写真工業(写真工業出版社)、11誌7社でしたが、それぞれの雑誌をご覧になるとお分かりのように、朝日新聞社毎日新聞社中日新聞社を除けばみごと各社がアルスの流れをくんでいたのです。

 アルスが最初に出版したのは、1921(大正10)年4月号の寫眞雑誌「カメラ」でした。

 そして、「カメラ」が最終号となったのは1956(昭和31)年8月号でした。

 「カメラ」創刊から、終刊までの間にさまざまな写真書が発刊されました。最も著名で大作は1935(昭和10)年から1937(昭和12)年までの間に刊行された「アルス最新寫眞講座」で全部で20巻にも及ぶものでした。このほかに、アルスカメラ叢書、写真処方集、カメラの使い方全集、アマチュア写真講座、アルス写真文庫、アルス写真年鑑などなど、数えたらきりがありません。
 さて、僕が言う、新聞社系と民族(アルス)系という考えは、「カメラ」1954年4月号に掲載された「アルス学校の人々」コラムにも同じようなくくりで掲載されていました。僕が以前から考えていたアルスの流れをくむというのは出版社としてのとらえ方ですが、このコラムでは人としてとらえたために、さらに広がっているところが注目点です。これだけでも、ARSが戦後日本の写真ジャーナリズムに与えた影響は大きいと考えるわけです。そして僕が気になるのは、なぜ1956(昭和31)年8月号の「CAMERA」最終号を後にして、アルスそのものが忽然と消えてしまったことのへの理由です。そのことに触れた文献はあまり見ませんが、当時深く関係された方のお話では、経理上の問題であったとかつて聞きましたが、いずれの方々も現在はいらっしゃらないので、書籍だけはこれからも残るわけです。

 日本カメラ博物館の「クラブ25」では、アルスが発売した書籍に加え、カメラ、写真用品、写真薬品なども展示して、JCIIライブラリー収蔵資料展“アルス―『カメラ』とその周辺―”を12月24日まで開催しています。大正時代から終戦後の日本における写真ジャーナリズムに興味のある方は必見です。関連情報として終戦直後から、現在に続く記事はこちらもご覧ください。またJCIIライブラリーでは、これらの関連書籍を閲覧可能です。