写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

神保町1-65の写真業界史

 40年ほど前から気になっていた、僕の“神保町1-65”への疑問が、この時期再浮上してきました。そのきっかけは、デジカメWatchなどをやっているインプレス社が、千代田区三番町から神保町へ引っ越したのです。神保町といっても地域は広く、どのあたりかなと調べてみると、神保町三井ビルだというのです。この三井ビル(神保町1-105)の建つあたりは、かつては細々としたビルが立ち並び、出版社や出版の取次店が軒を連ねるブロックだったのですが、再開発で大きな建物になったのです。したがって、地番も2桁から3桁に変わっていますが、再開発されたビルの脇の道路あたりがちょうど神保町1-65だったのです。
 ところで、なぜ神保町1-65なのでしょう。その地番を知ったのは1969年ごろ。僕が写真工業出版社を知ったときに、そこの地番が“神保町1-65”だったのです。写真工業には1970年から勤務しましたが、あるとき当時の編集長であった大和良平さんから昭和19年10月1日発行の「寫真科學」10月号(29巻第4号)という1冊の雑誌をもらいました。この本は戦時統制下の本のようで、特集は“天然色寫真”。ちょうど、小西六と富士フイルムがカラーフィルムを開発したタイミングです。執筆陣はそうそうたる方々で、このなかで“さくら天然色フヰルム”とローライコードを使って“少年航空兵”を撮ったのが大和良平さんでした。

昭和19年10月1日発行の「寫真科學」10月号、表1(左)と表4(右)≫

昭和19年10月1日発行の「寫真科學」10月号、目次(左)と表2(右)≫
 そこで「寫真科學」の奥付を見ると、編集兼発行人:北原鋨雄、発行所:北原出版株式会社、神田區神保町1丁目65、となっているのです。北原鋨雄氏は、戦後玄光社の社長でもあったわけですが、統制下のなかで、なぜ“神保町1-65”なのだろうと思っていたのです。そこで、今回この原稿を書くにあたり、1号前の「寫真科學」9月号を調べてみると、編集兼発行人:北原鋨雄、発行所:アルス、神田區神保町3丁目13となっているのです。10月号から神保町1-65となっているのです。その地番にその写真工業出版社が移り、何と1944年から70年経った2014年に、その同じ場所にインプレスデジカメWatchが越してきたというわけです。ちなみに「寫真科學」10月号には玄光社がサロン露出計の広告を出していて、住所は牛込東五軒町39となっています。

≪左:昭和19年9月1日発行の「寫真科學」9月号の奥付、中:10月1日発行の「寫真科學」10月号の奥付、右:昭和28年12月15日発行のカメラタイムズNo.210の奥付≫
 それにしても“神保町1-65”に、なぜかつての「写真工業」がとなるわけです。そこで改めて神保町1-65の歴史をたどってみることにしました。神保町1-65時代のその土地の所有者は、写真業界紙「カメラタイムズ社」と「写真工業出版社」のオーナーであった鈴木愛三氏でした。鈴木愛三氏は現在は亡くなられていますが、幸いそのご子息で現カメラタイムズ社社長の鈴木裕一郎さんにお話を伺うことができました。それによると、戦前はその場所に常総新聞社(茨城新聞社)の鉄筋コンクリートのビルが建てられていたというのです。昭和17年政府の1県1紙方針により茨城県の複数の新聞社は茨城新聞に吸収されビルから撤退し、そのビルを安く入手することができたというのです。この場所は広告代理店の博報堂の隣にあり、博報堂の下請けの広告代理店が複数入居していたそうです。その中には戦前の写真材料商向けの広告取りを行っていた萬歳社、アルス、医事新報社、新聞、雑誌社などが入居していたというのです。このビルは戦災で焼失したということですが、「寫真科學」の9月号が昭和19年であったわけですから、その後焼失となります。戦後、鈴木愛三氏はその場所に自らの手で掘立小屋を建て、その後昭和21年には2階建てのバラックを建て2階を住居に、1階を事務所にして写真業界紙の「カメラタイムズ」を発行しています。鈴木愛三氏は、昭和41年にその場所に“鈴松ビル”を建てました。その後、写真工業出版社が1967年4月号から千代田区富士見町から神保町1-65に転居してしてきました。そしてカメラタイムズ社と写真工業出版社は1998年の10月末に、三井ビルの再開発で神保町2丁目10番31号へ転居しました。現在、写真工業出版社は神保町2丁目に、カメラタイムズは神保町1丁目10番地の太陽堂ビルで営業を続けているのです。なお僕が神保町1-65にいたのは、1970年から1998年までの28年間、神保町2丁目にいたのは1998年から2008年までの10年間、都合38年間神保町にいたのです。

≪左:1998年「写真工業」11月号奥付に掲載された地図(インプレスの会社案内地図と対照すると同じ場所であることがわかります)、右:1998年「写真工業」12月号奥付に掲載された地図≫
 今回の記事アップの発端は、デジカメWatchスタッフの“いざ神保町へ”というようなFacebookでの連日の発言を見て急に思い立ちましたが、実際インプレス神保町三井ビルディングのフロアから道を隔てて見た建物は1998年に鈴松ビルから見た時とそのままでした。いずれにしても、戦前戦後を通じて歴代の写真関係のメディアが、同じ場所で「北原出版社⇒カメラタイムズ社・写真工業出版社⇒インプレス」と時代の変化に応じて写真の情報を発信しているのも何か不思議な地縁を感じるのです。 (^_-)-☆
☆ここで紹介した、、寫真科學、カメラタイムズ、写真工業はすべて、JCIIライブラリーで閲覧でき、自宅のPCで検索もできます。