写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

自撮り棒とカメラ用の潜望鏡(改)

 縁あって“カメラタイムズ”という写真業界紙に隔週「業界写真散歩」というコラムをここ1年程前から書いています。あるとき読者から最近流行の「自撮り棒の起源について知っていたら教えて欲しい」という連絡が入りました。そこで返答をかねて、自撮り棒に関するコラムを書きましたので、以下に紹介しましょう。

 自撮り棒の起源は、1983年にミノルタカメラから発売された”ミノルタディスク7とディスク5”のシステムアクセサリーの「エクステンダー」にあります。その時点でミノルタカメラが特許も取得していたというような公式的なことをお知らせし、私見としては、自撮りとは少し違うけど70年安保の頃、デモ隊に対し機動隊員が、ポールの先端にカメラを載せて参加者を撮影していたのが最初だったと思うと伝えました。

ミノルタディスク7+エクステンダー+リモートコードD(1983、ミノルタカメラニュースレリーズ写真より)≫
 ミノルタのエクステンダーは、カメラ脇にある三脚ネジ穴に取り付けて、やはり別売の「リモートコードD」を併用して電磁レリーズでシャッターを切るのですが、ディスク7の前面カバーには凸面鏡が組み込まれていて、この鏡に自分の姿が映ればアングルを外さないという仕組みでした。エクステンダーの最大伸長は約50cm、ディスクフィルムの画面サイズが8×10mm、レンズが12.5mmF2.8、風景と人物上半身の2つのピント位置にマニュアルで合わせるというものです。このあたりは、スマートフォンカメラの撮像素子面積が小さく、焦点距離が短くて、深度が深いということで、どちらも自撮りに向いているのです。
 英語で自分撮りのことをセルフィーと呼ぶそうですが、 “自撮り棒”という日本語はどこからきたのでしょうか。旅行先で自分の写真を撮りたいと思ったら三脚を使うことになるのですが、私は旅行で記念写真用に三脚を持参したことはありません。シャッターを切って欲しいときにはまわりの人に頼めば気持ちよく引き受けてくれます。観光地では、いつも積極的にシャッターを押してあげるように心がけていて、ときには3組連続でご指名なんてこともあります。つまり日本国内の旅行ではもともと自撮り棒は不要なのです。最近、自撮り棒が日本国内でも流行っているようなことを聞きますが、私の見た限りでは日本人より、中国からの観光客に自撮り棒を使う人が多いのです。
 自撮り棒を使用するのは国民性の違いがあるのかなとふだんから考えていましたが、スマートフォンのアクセサリーとしての自撮り棒の登場は、その製造国である中国の存在も無視できません。海外の関連した見本市で、自撮り棒の生産メーカーはどのくらいあるかと数年前から気になっていて、2015年のコンシューマーエレクトロニクスショーで数え始めたことがありますが、あまりにも扱う中国企業が多くて止めたことがあります。自撮り棒の普及には諸説ありますが、小型軽量なスマートフォンの登場に加え、消費者のニーズと生産がうまく一致したのが中国だと思うのです。

≪左)長い自撮り棒で車と自分を撮影(2015、CESにて)、右)ラスベガスのストリップを歩きながら自撮り棒でひょいひょいと撮影する人。あまりにも手際よく撮影するので、後ろからついて歩きました。(2015)≫

と、ほぼその全文をここに載せてみました。

 それそのものは特に問題ないのですが、そのコラム欄を読まれた札幌の今井貞男さんからさっそく連絡をいただきました。僕のいう“機動隊が使っていたのは”、レンジファインダーニコンSシリーズ用の「潜望鏡付きエキステンションン・アーム」とか「モータードライブ・エキステンション・ユニット」(写真左)と、呼ばれていたものだというのです。これは群衆の頭越しに目標を撮影するために開発されたもので、モータードライブ付きカメラを収めるホルダー、50cm〜120cmに伸縮する一脚からなり、最下部にはレリーズ延長コードにマイクロスイッチ付きのグリップを付けることができるのというのです。ご丁寧にその写真入り文献(久野幹雄著:レンジファインダーニコンのすべて、朝日ソノラマ)をつけて知らせてくれましたが、写真を見ると確かにその通りで、さすがニコンです。これには驚きでした。50年近く前の記憶はかなり確かなものでした。今なら手元にスマホタブレットを置き、レンズスタイルカメラを棒の先に付ければ簡単に群衆撮影システムを組み上げられます。かつて僕らはカイトフォトと呼んで凧にカメラを付けて空撮していましたが、その時に長い釣り竿の先にデジタルカメラを載せて、手元でモニターしてシャッターを切るということをやって、空撮もどきの写真を撮る仲間がいました。写真右は2004年のことです。リモートセンシングではグランドトゥールスといい重要な技法です。今では誰でもが、手軽にドローン(自律飛行の無人機)で空撮という時代なのです。
 そしてせっかくですから、もうひとつ。ペトリカメラの交換レンズには1960年代ベトナム戦争の頃、塹壕の中から先方をのぞき撮影する「ペリスコープ(潜望鏡)」というクランク型の200mmの望遠レンズがあると、50年ほど前のアサヒカメラの記事で文章だけで小さく紹介されていたと記憶しているのです。いずれにしてもニコンの潜望鏡付きエキステンションン・アームとペトリのペリスコープレンズは、現物を見たことがないのです。先人たちのアイディアを、やがていつかは写真か本物でぜひ拝んでみたいものです。()^o^()

■その後わかったこと。
 SNSの世界は素晴らしいです。このレポートをアップしてから、すぐにいくつかの指摘をいただきました。棒の先にカメラを取り付けたのは、1964年の東京オリンピックの時に、聖火台に火をつける所をねらったそうですが、その写真付きで横浜の桑山哲郎さんからご指摘いただきました。また、ペトリのクランク型ペリスコープレンズは札幌のMichihiko Endoさんより、これでは(M42、100mmF4.5)ないかとお知らせいただきました。
 実は、記事をアップすることにより、新事実が明らかになるのではとひそかに期待しておりましたが、ずばりその通りになりました。ご指摘ありがとうございます。残るは、ニコンの「潜望鏡付きエキステンションン・アーム」の実物を拝んでみたいものです。木箱に入ってセットになっていたそうですから公官庁の払い下げ品の中にあったのではと思われます。
■さらに追加の新情報です。
 船橋の後藤哲朗さんによると、1964年の東京オリンピック聖火のリモート撮影は「ニコンF+モータードライブ」だったそうです。竹竿の上に付け、伸ばしたリモコンのボタンを手元で押すことによりシャッターを切ったようです。すでにSシリーズ用にレリーズ延長コードとマイクロスイッチ付きのグリップが用意されていたので、1959年発売のニコンFが使われたとしても不思議ではありません。
 そして報道機関独自の工夫か、あるいはニコンの報道機材部門が協力したのかは不明だそうです。さらにどんな報道機関が撮影していたのかはやはり不明で、動画記録では、青い空を背景にした赤いせっかくの点火の背後でゆらゆら動いているのがわかるそうですが、どんな光景が撮影されたのかは、わからないそうです。そのシステムで撮影したようなカットを今までに見たことがないので、もしご覧になった記憶、実際の写真や印刷物を所有されていたらご一報いただきたいそうです。
 いずれにしても竹竿の上にニコンFを付けてリモート撮影するには、大学応援団の団旗などを持つのと同じように、専用支持ベルトを腰につけたりすることなどと、かなりの体力を必要とします。加えて潜望鏡機能は付加できなかったでしょうから、ファインダー像を下から覗くことはできなかったはずですので、思ったとおりのアングルで撮影できなく、苦労したのは間違いないなく、それで撮影した記録写真が公開されていないのもカイトフォト経験者としては納得いくのです。(^^)/