最近若い女性が肩からカメラを提げているのが、前にも増して目につくようになりました。先日出会った若い女性は、ピンクの「ニコン1」をたすき掛けにしていてなかなか様になっていました。どうやらああいうときは、ストロボをポップアップしておくものなのでしょうか。ということで、今回はカメラと女性の関係を考えみました。まずは、1900年代初頭の歴史的なコダックの広告をご覧ください。
左から、ブローニー・カメラ(1900)、オートグラフィック・カメラ(1928)
左から、オートグラフィック・カメラ(1928)、ポケット・コダック・カメラ(1913)、オートグラフィック・カメラ(1928)
左から、Premotte Senior カメラ(1914)、Six-20カメラ(1937)、オートグラフィック・カメラ(1928)
というわけです。原画は、1980年のフォトキナでプレス向けにドイツコダックが配ったポストカード写真なのですが、その中からカメラが写っているものだけをピックアップしました。わずかに男性が写っていたのは、最後のオートグラフィック・カメラだけなのです。それでも、被写体は女性なのですね。これらからもカメラは女性がもってもおかしくないということを100年以上も前から、製造側からは提案してきたというわけです。
最近は、カメラ女子という言葉とともに、日本の雑誌などでは、女子カメラ、女子カメWatch、ママカメラなどと、単に女性をターゲットにしているだけでなく、はっきりと女性を名付けたメディアが登場しています。近頃、聞いた話では朝日新聞社の写真部長には初めて女性がなったとか、日大芸術学部写真学科の学生の65%が女性だとかいうことです。確かに僕が昨年まで担当していた東京工芸大学の授業も同じぐらいの比率だったと思うのです。先日もある専門学校の社会人学生さん10人ほどに博物館でのレクチャーを頼まれましたが、2時間以上熱心にノートを取り、解説後は続けざまに質問してきて、先生にもうそろそろ終わりだよと促されていたのも女性でした。というわけですが、古くは報道関係の写真家としてもマーガレット・バークホワイトや笹本恒子さんがいるのです。そして何も若い女性だけでなく、写真教室などでは杖をついても頑張っているのは女性のほうが多いように見えるのです。だからこそ、こういう時代のカメラのあり方などもう一度考えてもいいような気がするのです。