写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

レプリカのカメラと望遠鏡

 レプリカカメラとういと、僕がまず一番に思い浮かべるのは「Ur.ライカ」です。その次ぎは、フォクトレンダー社の「全金属製ダゲレオタイプカメラ」。いずれも海外のカメラですが、日本製としては小西六の「チェリー手提暗函」となります。それぞれレプリカというからには、わざわざ後の時代に複製を作るわけですから、それなりの理由というか価値があるわけです。
 まず、本物Ur.ライカはご存じのように1913年にオスカーバルナックが35mmフィルムを使う小型カメラとして0型ライカ以前に試作したモデルで、世界にも見られる形としては1台しかないといわれ、現在はライカカメラ社のあるゾルムスの銀行の金庫にしまわれてます。そして、ダミーが製作されたのは、ライカ誕生50周年の1975年だということですが、その後、ダミーモデルに塗りのブラックとブラッククロームモデルの存在が確認されているので、必要に応じて追加製造されたというのが通説です。
 次のフォクトレンダー社「全金属製ダゲレオタイプカメラ」は、別名「大砲カメラ」とも呼ばれています。本物の発売は1841年ですが、復刻品は1939年に発売100周年を記念してフォクトレンダー社が200台製作して、その後1950年代、1970年代とさらにレプリカが製造されています。というわけで、このカメラは現在われわれが目にできるのは、いずれもレプリカモデルです。唯一本物を見たというのは浅草・早田カメラの店主早田清さんで、1990年にオーストリアザルツブルグ郊外のカメラ博物館で60cmと40cmぐらいの2本とレンズ部分も別に置かれていたが、その後この博物館は閉鎖され、オリジナルの全金属製ダゲレオタイプカメラは、今どこにあるかわからないというのです。
 また1903年に小西六から発売された「チェリー手提暗函」は、日本で最初の工業製品として作られた最初のカメラとされています。このチェリー手提暗函は1984年にアメリカで開催された「日本カメラ発達展」に合わせて25台レプリカが製造されました。このカメラも現存する本物はなく、当時のカタログを目安に寸法を割り出し、レンズは当時ほぼ同時期に発売されたイギリス製のリトルニッパーを入手し単玉平凸レンズの焦点距離は4インチだろうと推測し、改めて小西六の光学技術陣がコンピュータで設計し直した焦点距離97mmの平凸レンズが装着されています。
 とまれ、ずいぶん前置きが長くなりました。本題は実は望遠鏡のお話しだったのです。少し前になりましたが、元日本カラーラボ協会の尾花経久さんから“望遠鏡”に興味がありますかと? いうことでいただいたのが、右写真の望遠鏡なのです。「はあ、あまり興味はありませんが」とかいいながら拝見して驚きました。箱には“1756−2006 フォクトレンダー250周年”と書いてあるのです。なんでも尾花さんのドイツにいらっしゃる友人が亡くなられて、ドイツ人の奥さんが記念にと贈ってこられた物だそうです。フォクトレンダーは100周年を記念して大砲カメラを復刻したわけですから、250周年を記念していわくある望遠鏡を復刻してもまったくおかしくないと、僕は考えたわけです(箱にはドイツのフォクトレンダーのURLがプリントされています)。それに、金色の鏡筒に革張りで、チーク材?の立派なケースに収まっていて高級感はたっぷりです。ただ、尾花さんから渡されたときは、何も見えないからおもちゃですよというわけでした。そうですか、と聞きながらがら、かなり力を入れて引っ張ると伸びて、立派な望遠鏡になるのです。確かに、縮んだ状態でも、伸ばした状態でも接眼レンズの向こうには何も見えません。でも、もう一度収納しようとすると大変なことになりました。両面テープで貼られた遮光紙がべたべたになって外に付いてくるのです。これには閉口して、結局すべて分解して、両面テープの遮光紙を取り外し、接着剤をベンジンでふき取るという大騒動になってしまったのです。
 分解して驚きました。対物レンズは2枚張り合わせの色消し(25×30)、接眼レンズの手前には正立プリズムが組み込まれています。これだけの光学部品が組み込まれていて、何も見えないのは不思議というか残念です。そこで日本でフォクトレンダーブランドのカメラとレンズを製造しているコシナの小林社長なら同じ望遠鏡をもっているのではないだろうかと聞いてみました。すぐどのようなものかわかってもらえましたが、電話の向こうで“市川さん!それは単なるおもちゃですよ”と即答されてしまいました。2006年当時、コシナフォクトレンダー250周年記念としてベッサR2M、R3M、ヘリアークラシック50mmF2.0セットを発売しています。この望遠鏡セットはドイツでフォクトレンダーの権利を持つリングフォトがフォクトレンダー製品の250周年を記念して製作したようです。
 とはいっても、フォクトレンダー社は金属製のダゲレオタイプカメラだけを作っていたわけではありません。創業時には望遠鏡も作っていたはずなのです。しかし大砲カメラの撮影レンズとしては、ペッツバールの人像用レンズをフォクトレンダーが製作し、当時としては最も明るいレンズとして、1904年にカール・ツァイスのテッサーが発明されるまでは多用されました。このペッツバールレンズ、僕の感じでは下田にある「下岡蓮杖」のカメラや箱館で北海道最初の営業写真師「木津幸吉」が使ったカメラのレンズがそうであり、1850年代中頃日本への写真渡来創生期のレンズではないかとつねづね考えています。そして、このブログを書くのに時間がかかったのは、何か調べればおもちゃ以外の何かがでてくるはずだと調べたのですが、なかなか簡単にはいきませんでした。ただひとつ関連がありそうなのは、フラウンフォーファーの「とおめがね」です。ミュンヘンの科学博物館にはこの“とおめがね(spy-glass、遠眼鏡)”の対物レンズの有効径30〜43mmまでが9種類展示されていて、ほとんどは4段伸ばしで、わずかに1種類だけが5段伸ばしだというのです。いずれも管は黄銅製で、太い部分の筒は木製だそうです。フォクトレンダー250周年記念の望遠鏡には皮が巻いてありますが、当時は握ると冷たくないようにするための加工だったようです。江戸時代にはこの部分が象牙で作られたのも輸入されていました。フォクトレンダー250周年の望遠鏡はおもちゃか、それとも歴史的な望遠鏡のレプリカなのか不明ですが、僕の手元に置いておくのはもったいないので、日本カメラ博物館に尾花さんのお名前で寄贈しました。結果、おもちゃコーナーに飾られるかはわかりません。(^。^)