伝書鳩が新聞社においてフィルムの運搬に役立ったという話を載せさせていただいたところ、なかなか好評でいろいろな方々からおもしろかったと連絡をもらいました。それならばということで、「新聞社と伝書鳩」の続きを報告させていただきます。
◇伝書鳩による最後のフィルム運搬が行われたのはいつごろまでだったのだろうかと考えていましたが、意外と身近にそれを知る人がいました。その人は、元東京新聞編集局写真部長であり、現在は写真家としてご活躍の鍔山英次(つばやま えいじ)さんです。
鍔山さんによると、公式に伝書鳩でフィルム運搬を行った最後は、1953(昭和28)年3月30日、イギリスのエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として皇太子殿下(現天皇陛下)が出席するときに、客船プレジデント・ウィルソン号で横浜港を出発しハワイやサンフランシスコ、バンクーバー、オタワ、ニューヨークなどを経由して、4月27日に英国に到着したそうですが、そのとき出港から2日目に同行した報道各社はフィルムを鳩につけて飛ばしたのだそうです。もちろん何羽かは鳩舎に戻ったようですが、中には途中で漁船に休息して迷子となり、足環から判別され、新聞社には漁協から連絡が入ったそうです。
そして、最後の伝書鳩によるフィルム運搬を行ったのは、鍔山さんご自身で、1960(昭和35)年9月19日に谷川岳一ノ倉沢も衝立(ついたて)岩で起きた登山者2人の宙吊り事件のときだったそうです。事件当時、2人の所属する山岳会の仲間がすぐさま遺体収容にかけつけましたが、2人に近づくことができず、身内の人達も肉親の姿を遠くに眺めるばかり、そこでザイルの吊り降しを断念し、自衛隊の狙撃でザイルを切断することになり、ライフル銃、カービン銃、軽機関銃などで細いザイルに集中射撃を行い、ようやく2人の遺体を落下させ、収容したという悲惨な事件でした。このとき取材で現場にいた鍔山さんは、何とか早く撮影したフィルムを届けたいと土合山小屋の遭難救助用の鳩を借り、その場にあった袋を小さく裂き、パトローネのままのフィルムを入れ、登山用のゴムバンドで鳩の体にくくりつけて、放ったそうです。もともと鳩にはパトローネ1本そのままではかなりの過重で、谷間を転がるように落ちていったそうですが、後ほど山小屋の鳩舎の入り口に、お宅の会社の名前が書かれた何かをぶら下げていて中に入れない鳩がいると山小屋の人から連絡を受けて、無事にフィルムは空輸されたということがわかったそうです。以後、鍔山さんは、「鳩に残酷なことをさせた最後の男」として仲間に語り継がれたそうです。
鍔山さんは、写真の日にちなみ、5月31日(社)日本写真文化協会の主催で「鳥居と日本人」というテーマで講演されました。また最近の作品は、新潮文庫「日本の霊性 越後佐渡を歩く」で見ることができます。