写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

ダルメイヤー・アドンと富士山

アドンに対する思い
 ダルメイヤー社のADON(アドン)は、僕にとって、長年一度手にしてみたかった古典レンズです。今から10年以上前に、僕が歴史的な古典レンズに興味を持ちだした頃に、写真業界の大先輩で写真雑学の大家ともいえる元日本ポラロイド社のSさんが『岡田紅陽が富士山を撮るときに使っていた「アドン」というレンズを持っているから、今度持ってきてあげるよ』といわれたの最初でした。さっそく古典光学書を調べると、イギリスのダルメイヤーが1900年ごろに発売した望遠レンズだということがわかりました。以後、Sさんに会うたびに"アドンを貸してくださいよ⇒いま探しているから"という問答を繰り返していました。ところが、僕がSさんに会うたびにしつこく聞くために、しまいには僕を避けるようになり、ある時から怒りだしてしまう始末で、結局アドンの存在に関しては不問にするようになりました。とはいっても、僕のアドンに対する思いは募るばかりでしたが、実際はほとんどあきらめの境地でした。
 そんなある日、写真仲間のTさんのオフィスへ写真展の打合せで行ったときに、4×5のリンホフボードに付いた風変わりなレンズが目につきました。手に取って鏡筒に書いてある銘を見ると「ADON」と刻印されているのです。一瞬、そのごろっとした円筒からして面白いと思いましたが、まぎれもなくダルメイヤー社のアドンなのです。各部をのぞき操作していると、Tさんは、興味あるなら貸してあげますよといってくれたのです。願ってもないことで、まずはありがたく拝借することにしました。Tさんいわく、中古カメラ店で8本3万円の山の中に入っていたうちの1本だから、どうぞごゆっくりというのです。しかも、ブリテッシュジャーナルの1910年のアドンの広告ページと解説文までコピーしてくれたのです。写真には伸縮状態のアドンレンズ単体を示しました。

≪鏡胴の白い部分はアルミ製で、ADON、PATENT、JH Dallmeyer(John Henry Dallmeyer)、シリアルナンバー、LONDONなどと刻印されています。レンズの直径は約32mm、撮影時は先端の部分を引き出してラックピニオンを回して一番引き出した状態でピントがきます。この縮長状態は60mm、伸長状態で約100mmです。また、前群と後群の間には虹彩絞りがあり、不等間隔で1・2・4・8・16・32と倍々に数値が刻まれていて、開放の1に対し、1/2・1/4……1/32と光量が変化していくことになります。同じような表記としては、1881年に英国王立写真協会が制定したU.S.(ユニフォームシステム)絞り値がありますが、U.S.1=F4、U.S.2=F5.6……U.S.8=F11、U.S.16=F16であり、それとは明らかに違うのです。焦点距離は実測で約310mmとなり、レンズの直径約32mmで割ると、F値は約9.7となります。カメラに取り付けた場合には、撮像面から先端まで約185mmですから、望遠レンズの大きさを表す望遠比(185÷310)は約0.6となりますので、かなり小型の望遠レンズといえるでしょう≫
アドンの不思議
 とりあえず何らかの形でカメラに取り付ければ撮影は可能となるので、手元にある35mm判フルサイズのカメラに取り付けようと、まずはソニーα7Rを用意したのですが、さまざまなマウントアダプターとヘリコイド中間リングを組み合わせて装着してみると、妙に長く見えるのです。またピントがきてもファインダー像を見ると、4隅がケラレてしまうのがわかったのです。結局あれこれ試行錯誤のすえ、フランジバックの長い一眼レフに取り付ければ見た目もバランス良く、問題ないことがわかりました。その装着の手順は、「アドンレンズ⇒アドンレンズマウント台座⇒L39中間リング⇒L39/M42マウントアダプター⇒M42ヘリコイド中間リング⇒Tマウント⇒カメラボディ」で取り付けることが可能になります。一眼レフはフランジバックの関係からミラーレス機のようにマウントアダプターがほとんどないので、フランジバックの長い望遠系のレンズの場合に、中間リングとヘリコイドリング、Tマウントを組み合わせると簡単に撮影が可能とるのです。このTマウントは、ネジ側がM42ピッチが0.75mm規格の物は1957年に手動絞りの交換マウントシステムとしてタムロンから発売されていたものですが、現在ではケンコー・トキナーに引き継がれ、その後登場したキヤノンEFやミノルタα(ソニーA)、ペンタックスK、さらにはミラーレス用の各社新マウントも追加で作られていて、このような使い方をする時には大変便利です。
 デジタルでフルサイズの一眼レフとなるとTマウントには、ニコンF、キヤノンEF、ソニーA、ペンタックスマウント用がありますが、ここではニコンFマウント用のTマウントを使用しました。製作上の注意点としては、しっかりと無限遠がでるように中間リングを細かく調整しなくてはなりません。ピントを合わせるということでは、鏡胴が繰り出された状態では近接撮影が可能ですが、無限遠をだすとなると、このアドンでは中間リングをかなり縮めた状態でしか∞がでないので、工作過程で何度もやり直した部分です。

ニコンD700アドンを装着。フランジバックが厚い一眼レフの方が、望遠レンズを付ける場合にはバランスがよかったのです。この工作のポイントは、黒のビニールテープを使ったことです。引っ張りながらマウント台座と中間リングに巻き付けると、中心も平面もきれいに押されてでます。以前は接着剤や両面テープを使っていましたが、頑丈さ、遮光性に加え、復元が楽なことなどすべての点でビニールテープの使用が優れています≫
 さて、いよいよ撮影をと思ったときに、改めてブリティッシュジャーナルのアドンの解説を読むと、"可変焦点レンズ"だとの記述があるのです。そこでカメラに取り付けた状態で、ラックピニオンを伸縮させたり、前の部分の引き出し具合を変えてみたのですが、ピント位置は1か所にしかないのです。これはどういうことだろうと、フェイスブックに『このレンズ有名だけど、使うにあたり仕様がよく分かりません。ダルメイヤー、ADON、1910年。無限遠がでましたので、後は撮影をするだけ。』と書くと、皆さんからさまざまな教えをいただきました。ズームレンズであるとか、アタッチメントを付け替えるとイメージサークルが変わるとか、謎のレンズだとか、よくわからないから売ってしまったということなどでしたが、おひとりだけ平成写真師心得帖などを執筆されていて古典大判カメラ用レンズに詳しい柳沢保正さんが、望遠レンズであると同時にフロントコンバージョンレンズだから、何かのレンズの前に手でもいいから押さえてのぞいてみるとよいというのです。
 そこでアドンのネジが取り付くレンズはないだろうかと、まずはライカ用のズマリット50mmF1.5に取り付けようとしましたが、口径が大きすぎて装着できません。あれこれ試したらズマール50mmF2の先端にねじ込むことができ、さっそく「ライカS/Mリング⇒ソニーEマウントアダプター」を介してソニーα7Rに取り付けると、ピントが合うことが確認できました。ところが、35mm判フルサイズでは周辺がケラレてしまうのです。そこで撮影結果が少しでも見栄えがいいようにと、画面サイズの小さいマイクロ4/3のカメラを使うことにしました。この場合には「ライカS/M⇒ライカM⇒マイクロ4/3マウントアダプター」という接続になりました。ただこれは基のレンズがどのようなものかによってイメージサークルは変わるものだと思うのですが、機材的に間に合わせることができないので、ピントが合って、アドンは、単体で望遠レンズ、他のレンズと組み合わせるとフロントテレコンバーターレンズとして機能することが確認できただけでよしとすることにしました。
●望遠レンズとしてのアドン
 望遠レンズとフロントテレコンバーターとして使えることがわかりましたので、とりあえずニコンD700に取り付けて望遠レンズとして撮影した結果をお見せしましょう。アドンは望遠レンズですが、ブリティッシュジャーナルの解説文によれば、望遠レンズだからと遠くのものを撮影することだけを考えてはいけなく、建築、ポートレイト、風景、自然史などオールマイティーに使えるレンズだというのです。その点を含んで、身近な所で撮影しました。

≪自転車:絞り 2、1/200秒、ISO200、AWB≫

ヒヨドリ:絞り 2、1/80秒、ISO200、AWB≫

≪東京駅:絞り 11、1/200秒、ISO640、AWB≫

≪窓ふき:絞り 11、1/160秒、ISO640、AWB≫
 全体をご覧になっていかがでしょう。暗いレンズですが、すべて手持ち撮影で、焦点距離に対して小型なためにぶれないように苦労しました。100年以上も前のレンズですから、基本的にはよく写るレンズだといえます。掲載にあたって注意したのは、もともとこのレンズが作られた時代は、湿板であり、乾板であっただろうと思われるのです。レンズのイメージサークルとしては、所有者のTさんによれば4×5インチをカバーするということですが、当時としては引伸ばして使うことは考えなく、密着プリントの時代でもあり、引伸ばしてもそれほど拡大率は高くはないと思うのです。デジタルの時代では、それだけのイメージサイズを持つカメラは一般的ではありませんので、24×36mmの35mm判フルサイズのカメラを使うと超望遠となり、手札判ぐらいのカメラなら望遠レンズとなるわけです。その点において、ここでの掲載は横640ピクセルとしていますが、それでも極端な拡大になっているわけです。したがってD700の4256×2832の約12Mピクセルにおいても十分を超える大きさとなるのです。もちろん、それを画素等倍にしてみるのも可能ですが、カラーのない黒白写真の時代にあって、色収差の発生をいうのも気が引けます。画質としてあえて言うならば、なるべく絞り込んで使うということで、かなり良好な画像が得られます。また、これらをクリアして使えるのも高感度を簡単に使えるデジタルならでは生きてくるのだとも思うのです。
●フロントテレコンバージョンレンズとしてのアドン
 今までアドンは、望遠レンズとして使えても、テレコンバーターとして使えることはわからなかった部分です。そこで何とか画にしてみようということで撮影したのが以下の写真です。ここは、画質が云々ということでなく、画角的にどのように結像するかということに主眼を置きました。本来ならば画面サイズの大きい蛇腹式の大判カメラで行うのでしょうが、ここでは最大でも35mm判フルサイズしか機材的に対応できないのです。とくに今回はアドンのネジ径に合うマスターレンズはズマール5cmF2(1936年)しか、ありませんでしたのでなおさらです。写真にはマイクロ4/3のルミックスG1を使いズマールの前にアドンを装着した状態です。

≪「ルミックスG1⇒ライカMマウントアダプター⇒ライカS/Mアダプター⇒ズマール5cmF2⇒アドン」という組み合わせで使用できました。撮影時はマスターレンズは、絞り開放で、∞にセットしておき、ピントはアドンのラックピニオンを使って合わせることになります。また絞りもアドンの絞りを使うとよいとされています。つまりまったくのフロントコンバージョンレンズです≫

ルミックスG1、絞り 11、左)ズマール5cmF2。右)ズマール5cmF2+アドン。ズマール5cmF2のみの画角は50mmレンズの2倍ということで100mmレンズ相当の画角です。そこにアドンをつけると長さで約2倍ぐらいになっているので、約200mm相当となり、アドンは2倍のテレコンバージョンレンズといえるでしょう≫

ソニーα7R、絞り 11、左)ズマール5cmF2、右)ズマール5cmF2+アドン。同じようにフルサイズで撮影した結果ですが、アドンをつけると周辺がケラレが目立ちます。アドンをつけると長さで約2倍ぐらいになっているので、約100mm相当とななりました≫
アドンの時代
 ここには1910年のブリティッシュジャーナルの年鑑に掲載されていたADONの広告を示しました。ここにはアドンが望遠レンズであること、3・1/2x2・1/2インチから15x12インチ(大名刺から半裁)までをカバーすること、わずかな延長で拡大画像が得られること、硬い革ケース付きで3ポンド10セントであること、フィルムカメラ用にJUNIOR ADON(2£10s)があることなどが書かれています。
 ところで、望遠レンズとして、テレコンバーターとして使えるアドンのレンズ構成はどのようなものなのでしょうか。最近の光学書では、アドンのレンズ構成もさることながら、アドンの名称もほとんど見当たりません。もちろんネット上にはわずかにありましたが、レンズ構成までの記述は少ないのです。唯一、1935(昭和10)年に誠文堂新光社より発刊された最新寫眞科學大系の「寫眞光學入門」にでていましたので右に示しました。レンズ構成は、分解して見たわけではありませんが、現物のレンズの外観と照らし合わせると、前群に色消しの凸を使い、後群の凹で拡大する、これらしいのではないかと思ったのです。この本によると、設計者は「英吉利のドーリメヤーのブース(L.B.Booth):原文ママ」、糸巻き型収差の欠点があることなどが書かれています。そして最後に思ったことは、ADONとは、レンズの前に追加するテレコンバーターでもあることから、Add+ONの組み合わせから作られたのでないだろうかということです。
アドンと岡田紅陽と富士山
 アドンが望遠レンズであり、テレコンバーターとしても使えることがわかると、もうひとつ調べてみたいのが岡田紅陽とアドンの関係です。写真家、岡田紅陽(1895〜1972年)は、富士山を撮る人にとってはよく知られていて、岡田紅陽写真美術館やいまでも紅陽会なる富士山をテーマにした写真クラブが存在するほどなのです。そこで冒頭のSさんのいうアドンが岡田紅陽に使用されたということを調べてみました。1940(昭和15)年にアルスから発行された写真集「富士山」を調べてみると、掲載されている105枚の富士山の写真のうち19枚がアドンで撮影されているです。つまり全体の18%がアドンによるものなのです。さらに撮影年代で分類すると、昭和9年4点、昭和10年5点、昭和11年5点、昭和12年1点、昭和13年3点、昭和15年2点と分布しているのです。これにより昭和10年から11年までが岡田紅陽がアドンを最も愛用した時期だと考えられます。本の表紙と作品番号2番のデータを示しましたが、アドン望遠としっかりと書かれていて、富士赤外線乾板を使っていることがわかりました。このほかに使ったレンズを調べてみるとWプロター単玉、ダゴールなどが使われ、カメラとしてはローライコードをみつけることもできました。
 もうひとつ、実はアドンを使って富士山を撮ろうかと考え、夕日の落ちる頃を目指して近所の7階建てスーパーの屋上へ向かい、3度ほど撮影を試みましたが納得できる写真は撮れませんでした。そこで一計を案じた結果、連日ご自宅のベランダから富士山を定点撮影している写真仲間の神原さんにレンズを預けて、撮影してもらおうと考えたのです。神原さんは僕の知る限りここ数年は、富士山と月を多数撮影しています。ロケーションのよさと、タイミングを見計らっての撮影には、どこにも負けない環境です。

≪横浜からの富士山。2017/02/07/AM9:00。撮影:神原武昌。ニコンD700、絞り値8、1/250秒、ISO800、Photoshopにて自動レベル補正、晴天の朝、美しく撮影されている。遠景描写特有のもやった感じがあるので、レベル補正を加えてきりっとさせました≫

≪横浜から富士山を赤外線撮影。撮影:神原武昌。2017/02/07/AM10:27。ニコンD200(IRカットフィルターを除去してある)、マルミHWB83IRフィルターをレンズ前に装着、絞り値8、1/320秒、ISO800、2017/02/07/AM9:00、Photoshopにて自動レベル補正、赤外線写真専用にボディ内のIRカットフィルターを取り外してある改良ボディ。D200APS-C判なので、この場合は35mmフルサイズに換算すると焦点距離465mm相当の画角となります。マルミHWB83IRフィルターは、830nm以長の波長を透過するフィルターで、赤黒くファインダーをのぞいてのピント合わせはできないので、無限遠位置から徐々にピントをずらながらシャッターを切り、もっともピントのよいカットを選んであります≫
●古典レンズ遊びは楽しい
 「写真の楽しみ方はいろいろ」というのは、僕のいつも考えていることですが、ダルメイヤー・アドンの発見は、さまざまな楽しみを体験することができました。レンズの歴史的解明に始まって、レンズのもつ特性、レンズを使った写真家の作品の捜索、カメラに組み付ける工作、実際の撮影、撮影画質の検討など、あげればきりがありません。まさに写真考古学であるわけです。いまから100年以上も前の時代に、このような万能レンズを作った先人たちのアイディアに感服するわけです。 )^o^(