写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

写真化学の原典「ミース・写真技術史の研究開発物語」

 2012年の末だったでしょうか、ひとりの老人が風呂敷包みを大事そうに抱えてやってきました。是松忍さんといい、元コニカの技術者だったそうで、風呂敷包みの中には写真化学の原典ともいわれたイーストマン・コダック社C.E.Kenneth Mees著の「From Dry Plate to Ektachrome Film --A Story of Photographic Research」という本の翻訳でした。たいへんきれいに整理されており、この翻訳を何とか本として出版したいという相談でした。僕は、出版から足を洗って早くも4年を過ぎようという時期でした。
 ミース博士の写真技術の研究は、1961年にアメリカで発売され、副題に“乾板からエクタクロームまで”とあるように、当時の写真技術者にとってはまさにバイブルであったのです。是松さんの出版したいという熱意は素晴らしく、ちょっとした気迫を感じさせるものでありました。そこで、現在の僕としてお手伝いできることとして、今日の写真化学界の実情や出版界の事情など、さらには翻訳書を出版するときの著作権や版権などについての難しさを解説をして、とりあえずお引き取り願いました。
 そしてある日突然、改めて僕を訪ねてきました。一瞬、どちらさまでしたか?という感じでしたが、1冊のきれいな本を差し出されて是松さんだと了解しました。そのとき、とっさに出た言葉は「いやー、おめでとうございます!」でした。いろいろご苦労はあったと思うのですが、立派な本になったのを見て安心しました。是松さんいわく、校正の段階でたくさんの赤字が入ったと、楽しそうに嘆いていました。出版社として用字用語にうるさいのは、本を出すうえでそれだけ熱意(責任)をもっている証ですから、よかったですね、と伝えました。右の写真は、できあがった本を届けてくれたときの記念の1枚ですが、相談に来られた時の気迫はなく、穏やかなうれしさに満ちたお顔でした。
 改めて、1960年代に千葉大学工学部写真工学科で写真化学を学んだIさんに聞くと、当時ミース博士の写真技術の研究書は、月々の給料が1万円もしない時代に、1万数千円もしたそうです。それでもどうしても読みたくて、やむなく海外製の海賊版(それでも6千円ぐらい)を買い求めて読んだというのです。本当に写真化学の研究者にとってはバイブルであったわけです。ちなみに是松忍さんは1940年大分県に生まれ、1963年3月に九州大学工学部応用化学科を卒業し、同年4月に小西六写真工業に入社し、約36年間勤務されたそうです。いま、若い新たな世代が銀塩写真に興味を持つようになりました。その人数はわずかかもしれませんが、翻訳書ができたことによってより身近に写真を基礎から学ぶことができるようになったと思う次第です。最後に、是松さんの後書きから一部を抜粋します。『温故知新という言葉がある。すぐれた技術書は現在につながっているし、また未来を見通す力がある。この原著書がそんな歴史書ではないかと思えた』
《ミース博士が語った写真技術史の研究開発物語》C.E.Kミース著、是松忍訳、講談社ビジネスパートナーズ、A5判・358ページ、8,000円(ISBN978-4-87601-991-5 C0072 \8000E)