写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

レンズ設計者の鏡、高野栄一さん

 高野栄一さんというと、このブログをずーっとお読みになっている方はご存じかも知れませんが、レンズ設計者なのです。以前、高野さんを取り上げたのは、ズームレンズでソフトフォーカスと題して“「タムロンSP70〜150mmF2.8 SOFT」”を紹介したのを覚えていらっしゃるかと思いますが、1979年にタムロンSP90mmF2.5ポートレイトマクロ、SP70〜210mmF3.5-4、SP500mmF8ミラーなどの一連のタムロンの名玉SPシリーズをだした方です。その後、一般的な写真レンズとしては清原光学のキヨハラソフトVK50R/VK70Rレンズや、鳥取の上田正治写真美術館の大型カメラオブスキュラレンズの設計などが知られています。その高野栄一さんが2010年6月1日(写真の日)に亡くなられたのは、やはり前回のブログで紹介したとおりです。
 それではなぜ高野さんが光学設計者の鏡なのでしょうか。実は、高野さんはお亡くなりなる前に財産の一部を「日本光学会の設計グループの活動資金として役立てて欲しい」という遺言を残されていたのです。その結果、公益社団法人 応用物理学会が受け皿となり、その分科会 日本光学会 光設計グループに多大なお金がご遺族より寄贈されて、『高野栄一光科学基金』が設けられ、CP+2012の行われているパシフィコ横浜の会議センターで2月10日に基金設立の記念パーティが行われました。

【写真は高野栄一さんご遺族と、日本光学会 光設計グループの役員の方々】
 僕が高野栄一さんさんを知ったのは、1972年に月刊『写真工業』の「光学器械とレンズ系」というシリーズ連載で「X線用光学器械とそのレンズ系」という項目を当時オリンパス光学におられた霜島正さんの紹介で原稿をお願いしに行ったときが最初でした。当時高野さんはキヤノンの下丸子におられ、医療器やテレビ用ズームレンズ、さらには35mm一眼レフ用のショートズームの設計などを手がけられていました。その後1977年にタムロンに技術担当重役として移られ、一連のSPシリーズの開発を指導されました。さらにその後はタムロンを辞して、1982年に光科学研究所を設立され、数多くの企業の光学設計コンサルタントをされてきました。
 さて、レンズ設計者はそれだけ高収益なのかと誰でも思われるかも知れませんが、たしかに高度成長という時代の後押しもあったので、今よりは良い時代であったかも知れませんが、ずば抜けてということではないと思います。そして今回、高野さんの基金のお話を聞いたときふっと頭を過ぎったのは、高野さんとお話ししたときの言葉です。当時タムロンの創業社長であった「新井健之社長とは、意見の相違もありタムロンを辞めたが、在職中に多大な株を譲渡いただき、辞めた後の今でも大変感謝している」といったことです。タムロンは今では東京証券取引所第一部にも上場していることから、その内容が膨大にふくれあがったことは想像に難くはありません。今回の日本光学会 光設計グループに遺された基金の金額は、公開されていないませんが、関係者から漏れてきた部分によると2.5億円とも聞いています(間違っていたらごめんなさい)。これは、年間1千万円ずつ取り崩していっても約20年かかることになります。すでに日本光学会では、海外での学会開催、研究者への支援などを予定されているようですが、日本の光学設計技術がこれにより、着実に高いレベルへ進展することは間違えありません。
 さて、僕と高野さんの関係は簡単にいえば、編集者と著者の関係でしかないのですが、世の中には便利なシステムがあるので、高野さんがどのくらい原稿を書かれたか、「JCIIライブラリー蔵書検索サービス」で簡単に調べることができるのです。フリーワード検索で、“写真工業”“高野栄一”と入れれば家庭のPCで簡単に検索できます。これによりますと、月刊誌で82本、単行本で6本とでてきます。僕の記憶では一部に抜けているのもある気がしますが、約90本近い原稿を書き上げているのですから、すごい仕事量です。同じように“アサヒカメラ”“高野栄一”で検索かけると4件と瞬時に判明するのです。以上、高野さんの偉業を自分なりに記しましたが、難しいレンズ設計の話をするだけでなく、実際は幅広い知識をお持ちで、カール・ツァイス財団が理想の企業形態であることを熱く語ったり、1983年より5年間フランスのアンジェニュー社の日本代表を務めたときには、フランス土産に額縁入りのクラシックなポスターをパリで買ってきてくれたり、光科学研究所が設立5年、10年と節目を迎えたときには、感謝の挨拶状とともに記念品の光学機器を贈ってくれるなど、気配りの方でもあったのです。写真は高野さんの傑作ともいえる書籍の『レンズデザインガイド』(1993年)です。この本は、高校を卒業した人でもレンズ設計ができるようにと難しい話を抜いてありました。さらには『レンズデザインプログラム』(1994年)は、当時数十万円以上したレンズ設計プログラムをなるべく安くとのことで解説書付きでわずか2万円で販売しましたが、各カメラメーカーのレンズ担当の部長さんクラスが部下に会社で指示をするのに、自宅のパソコンでこっそりとシミュレーションできるようにということで作られました。高野さんのことは書き出すときりがありませんが、やはり僕はレンズ設計者の鏡だと思うわけです。