写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

新聞社と伝書鳩

「上毛新聞」4月5日付け第1面の“三山春秋”というコラムに興味ある記事を見つけました。書き出しは、『新聞社はかつて伝書鳩を飼っていた。……』で始まるのですが、前々から新聞社と伝書鳩に関しては、いつかこのコーナーにアップしようと温存していたテーマがありましたので、一にも、二にもなく飛びついてしまいました。上毛新聞記者の方の記事は大先輩に聞いた話となっていましたが、現役の新聞社社員で新聞社には伝書鳩が飼われていたことをご存じの方は年齢的にもういらっしゃらないはずで、このようなことは僕自身もどこかに書き記しておかなくてはと考えていました。それというのも、実は日本カメラ財団が選定した「日本の歴史的カメラ」のなかに「ロード35(I)」という35mmレンズシャッターカメラがあります。1953(昭和28)年、岡谷光学機械の製造によるものですが、歴史的カメラとしては“フィルム巻き戻しボタンを押し続けなくてよい最初のカメラ”として選定されています。このカメラには、もうひとつ面白い機構として“フィルムカッター”が組み込まれていることです。なぜ、フィルムカッターなのでしょうか? 製造された1953年ごろは物資が不足していて、フィルムを切り現像していたのだろうと考えるのが一般的です。ところが事情は少し違っていました。元朝日新聞社写真部の福田徳郎さんにお聞きしたところ、フィルムカッターは“伝書鳩”のためであったというのです。当時、新聞各社は撮影後のフィルムを素早く本社に届けるために伝書鳩を使っていたそうです。ところが、パトローネ入り35mmフィルム1本そのままでは重すぎて、伝書鳩が長距離を飛ぶにはむり。そこで、ある程度撮影したらフィルムをカットして、未現像のまま伝書鳩にくくりつけて(もちろん遮光して)取材現場から飛ばしたわけです。伝書鳩が戻ってくる距離はせいぜい100kmぐらいの範囲。当時、有楽町にあった朝日新聞本社の屋上には何百という鳩が飼われていて、中学校を卒業したばかりの男子ハト係が何人もいたといいます。撮影済みフィルムの空輸を託された鳩は、必ずしも確実に戻ってくるわけでなく、行方不明となることも多々あったようです。もちろんフィルムの搬送をすべて鳩に託したわけではなく、陸路と並行してというということでしょうが、鳩舎には時として、毎日新聞など他社の鳩がフィルムを着けて飛来することもあったそうです。それを何食わぬ顔して現像して……ということもあったとか、ないとか。福田徳郎さんによると、ロード35は当時新聞各社の要請によって作られたカメラで、写真部員が使うカメラというより、地方の支局で重宝され、製造は400台くらいだそうです。福田さんは駆け出しの横浜支局で出船入り船の人物取材にロード35を使われ、取材にはちょうどよい画角で、よく写ったということです。レンズはHighkor C. 40mmF3.5、岡谷光学機械は、東京光学機械の流れをくむ会社で、戦前は軍需光学機器を製造し、戦後にカメラ製造を手がけ、堅実な作りと評価されましたが、長くは続きませんでした。<シャッター>セイコーシャラピッド、B.1〜1/300秒<価格>15,500円。写真のカッター棒は普段は下に収められていて、持ち運び、撮影にじゃまになることはなく、フィルムが装填してされている状態で上に引き上げれば、フィルムが途中でカットされます。もちろんこのような作業はダークバッグ(暗袋)の中でやるのでしょうね。このカッターはロード35II型からは、下に引き出すように配置が変更されています。
◇4月6日からは新聞週間なのですね。上毛新聞のコラムには、新聞社のこの半世紀ぐらいの写真送付に関しての技術進歩がぎゅっと詰まっている気がしました。ところで何で上毛新聞を読んでいたの?などと深くは考えないでください。
◆神原さんのコメントにある軍鳩(ぐんきゅう)はhttp://www.h3.dion.ne.jp/~hi1234/page016.htmlに載っていますが、奥が深いですね。でも伝書鳩であって、カメラで写真を撮るというのはやはり難しいらしく、ないようです。