写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

老舗“カメラ太陽堂”が休業

 神田神保町交差点近くの老舗カメラ店“カメラ太陽堂”が2013年の6月30日をもって休業しました。最近のカメラ好きの人にとっては、中古カメラを扱う写真屋さんという印象が強かったかもしれませんが、実は創業は1920(大正9)年ということですから、なんと93年もの歴史あるカメラ屋さんだったのです。僕は、雑誌編集者時代を神保町で過ごしましたが、太陽堂商事という太陽堂の兄弟会社からは、写真材料やプリント、さらにはカメラなどずいぶん購入したことをおぼえています。ニコンの特約店をやっていたので、地下鉄神保町の駅中には“ニコンのことならカメラ太陽堂”のようなことで黄色の看板広告がだされていたのを、昨日のことのようにおぼえています。
 と、ここまでなら単に歴史ある老舗カメラ店の休業情報でしかないのですが、実はカメラ太陽堂の前身は、太陽堂光機であり、ビューティーカメラだったのです。ここまで書くとおわかりの方もいらっしゃるかもしれませんが、戦後ヒットした大衆機二眼レフ「Beauty」などの製造メーカーであったのです。太陽堂が戦後製造したカメラはさまざまで、ビューティー14(14mm)、ビューティー16(16mm)、ビューティー6(6×6スプリング)、ビューティーフレックス(二眼レフ、約15機種)、ビューティー35(35mmレンズシャッター機、約11機種)というわけで、かなり幅広く手がけていたことがわかります。以前、早田カメラの早田清さんに聞いた話では、二眼レフで一番多く修理を依頼されたのはリコーフレックスで、その次がビューティーフレックスだったそうですから、それだけ数が売れていたということなのでしょう。写真に示した二眼レフ“BEAUTYFLEX”は1952年製造のもので、Teiko Anastigmat 80mmF3.5、シャッターはETOALですが、レンズ名のテイコは社長の奥さんの名前に由来しているとかで、トリプレットタイプの構成ですが、写りはしっかりしています。
 また、太陽堂には35mmレンズシャッター機もいろいろとありました。写真は1957(昭和32)に発売された“ビューティーカンター”(神田にあったからカンター)です。オーナーのMさんは、一ツ橋の某出版社写真部に勤務していますが、ストラップを付けていまでもこのカメラで撮影して楽しんでいるのです。太陽堂が最後にだしたカメラは1963(昭和38)年の“ビューティーライトマチックSP”という35mmレンズシャッター機ですが、この間ラジオ付きの35mmカメラが試作されたという記録も残っています。かつては、この場所店舗の裏側に工場があったそうですし、一時期は日本光学の下請けもやっていたようです。いずれにしても、現在は、カメラ店、写真店として存続していくのは難しいわけでして、今後も貸しビル業として会社は存続していくのでしょうが、戦後一時代を築いたメーカーであり、カメラ店が消えていくのは、時代の流れだとはわかっていても、寂しいことです。

 せっかくこの機会ですから、近隣のカメラ屋さん情報を少し加えておきます。神保町界隈には、僕の知るだけでこのほかにも写真屋さんは5件ぐらいあったと思います。黒白バラ板専門で、毎日フィルムを受け取りにきて、夕方にはプリントを届けてくれていた“早川写真工房”さん、大学生のころからつい数年前の廃業までツケでカメラやレンズを僕に売ってくれていた“リバストン商会”などと、いくつか思い出しました。時代が変わったのですね。さらに隣の九段下まで目を転じてみますと、2007年に廃業した“中村パテー商会”(写真左、ちょうど閉店して改装中に看板だけ残っているのを撮影、現在は富士そば)もありました。こちらは名前からしてお分かりのようにフランス製の9.5mmシネカメラ「パテー」の代理店でフィルム販売や現像を手がけていたわけですから、その歴史は大正時代にまでさかのぼれるのではないでしょうか。さらに靖国通りを隔てた対岸には“ヒライ商会”という写真屋さんが今もあります。こちらも戦前から続いている古くからのお店で、1948(昭和23)年に写真屋さんになったそうですが、現在は中古カメラやレンズも並べていますので興味ある方は覗いてください。