京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が8月24日90歳で老衰で亡くなられた。稲盛さんといえば本業のほかにKDDIの設立や、倒産したJALの立て直しなどで知られていますが、私にとっては1983年にヤシカを吸収合併し、2005年にカメラ事業から撤退しましたが、その間22年間を見てきたことにより、それなりの思いがあります。
まず、改めてヤシカから京セラ時代までのカメラ技術を振り返ってみたいと思います。ヤシカの時代に一気に高級機としてのイメージを持たせるために発売されたのがカールツァイスレンズを伴ってポルシェデザインで登場したのが「コンタックスRTSシステム」(1975年)です。1976年には水晶発信制御とストロボTTLダイレクト調光を採り入れた「コンタックス139クオーツ」を発売。1978年には、ワインダー内蔵の「コンタックス137MD」、1982年のフォトキナでは交換レンズにAFカプラーを組み込みボディ内モーターAFの試作機「コンタックスAF」、ファインダー内ターゲットフレームが赤くLED点灯する光像式フォーカスエイド機の「ヤシカFA」で試作されましたが、実際のAFカプラー方式のカメラは1985年のミノルタα-7000で、光像式ファインダー測距表示が実用化されたのは1990年のキヤノンEOS10QDでした。
京セラに吸収されてからの製品は、露出ズラシ機構を組み込んだ「コンタックス167MT」が1987年に発売され、1990年にはフィルムの平面性をだすためにバキューム機構を組み込んだ「コンタックスRTSⅢ」、さらに同年には高級コンパクト機として①チタンカバーボディ、②ファインダー窓面はサファイアガラス、③フィルム圧板はセラミック製、④シャッターボタンに多結晶サファイアガラスを採用、④コンパクトAF機なのにマニュアルフォーカスができるなど京セラならではの特長を備えた「コンタックスT2」を発売、さらに一眼レフでは既存のツァイスレンズをAFで使えるようにとバックフォーカシングの「コンタックスAX」を発売し、1999年には「コンタックス645」を発売、2000年には、フィルムとデジタルのバック交換機として発売した「コンタックスN1」をデジタルバックの出現を見ないまま事実上の開発終了となっているのです。
これらの流れを見てわかるように、技術的にはユニークさをかなり持っていたカメラメーカーであることはわかりますし、吸収後も、かなり奔放なカメラづくりが許されてきたわけで、それができたのも稲盛さんがカメラに理解があったからだと思う次第です。