写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

ピューリッツアー賞の写真家たち

 日本カメラ博物館で11月3日より、ベトナム戦争を取材してピューリッツアー賞、世界報道写真展大賞などを受賞した報道写真家の澤田教一が使用した、カメラとヘルメット、ピューリッツアー賞・賞状、世界報道写真展大賞のトロフィーとメダル、ロバート・キャパ賞メダルなどの展示が開始されました。

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≪日本カメラ博物館の澤田教一コーナー≫
 ピューリッツアー賞は、ニューヨーク・ワールド紙の発行者であったJoseph Pulitzerの遺産によりアメリカ・コロンビア大学に1917年に設けられ、ジャーナリズム、文学、音楽の分野で優れた仕事をした人々に毎年与えられてきた賞です。受賞の報道は日本の新聞でも掲載されていますが、最近そのスペースは新聞報道でもわずか10行程度であり、注視していないとわからないほどです。過去、日本人の受賞者は、長尾靖(1961年受賞)、澤田教一(1966年受賞)、酒井淑夫(1968年受賞)の3人で、いずれも報道写真家であり、さらに受賞年代が1960年代に集中しているために、昨今の写真教育受ける大学生に聞いても賞の名前は聞いたことがあるけれど日本人受賞者の名前は知らないといい、一般文科系の学生は賞を知ってはいるけれどということで、日本ではピューリッツアー賞そのものがある意味、過去の話になりつつあるのではと考えるわけです。このような時期に沢田教一のカメラと受賞の記念品などが恒久的に日本カメラ博物館に収蔵され常設展示されるようになったのは、写真ジャーナリズム史としては大変意義あることだろうと考えるわけです。ここでは、たまたまこれら受賞写真家を知る方々から過去にお話を聞くことができたので、極めて個人的な部分をも含めて書きとどめておくことにしました。

■長尾靖(ながお やすし)
 ピューリッツアー賞を1961年に日本人で最初に受賞したのは毎日新聞写真部の長尾靖(1930~2009)です。長尾は千葉大学工学部の工芸化学科写真映画専攻を卒業していますが、当時の写真は化学であり、新聞社写真部には暗室があり現像やプリント作業にはそのような専門知識が必要だったのです。
 長尾の受賞作品は、1960年の10月12日に日比谷公会堂で開かれた自民、社会、民社の3党首による演説会に登壇した日本社会党浅沼稲次郎委員長が、学生服姿の17歳右翼団体少年に刺殺される瞬間を撮影したものです。この事件の起きたとき私は中学生でした。当時同級生に社会党本部に父親が勤めるKj君がいたのですが、放課後彼の住む団地の広場でKj君と仲間数人で話しているところに遠くから友人のN君が「大変だ、浅沼さんが刺されたぞー」とやってきたのです。その時代のことはほとんど忘れてしまったのですが、なぜかその数分のことだけは60年経った今もしっかりと脳裏に焼きついているのです。

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≪長尾靖、ピューリッツアー賞受賞作品。写真は、毎日ムック『戦後50年、POST WAR 50 YEARS』120ページより、1995年、毎日新聞社刊≫
 それから55年ぐらいたったある時、毎日新聞社の写真部にいたKさんとの雑談の中で長尾さんの当時の話を聞くことができました。私と同年でかつて「カメラ毎日」の編集部にいたときから50年来の知り合いです。Kさんは私と同年ですから、当然のこととして写真部の先輩方に話を聞いたということです。
 日比谷公会堂の現場で長尾さんの使っていたカメラは、当時の新聞報道の現場では主流であった4×5シートフィルムを使ったスピグラ(スピードグラフィック)で、撮影の現場では必ず1枚は未撮影のまま残して社に戻るという決まりがあったそうです。この日も各党首の並んだ写真を撮り、1枚を残してありました。浅沼委員長が登壇し演説が始まり、次の自民党までパックフィルムの交換を見計らっているときに事件は起きたのです。この瞬間は、共同通信東京新聞を始め各社が写していますが、これらの社の写真に対して毎日の長尾の写真が最も異なるのは、補助光にフラッシュバルブでなくストロボを使っていたのです。この現場写真は、最初は壇に向かって右から乱入した少年が浅沼稲次郎の左わき腹を刺し、この瞬間をとらえた写真は他社にもありますが、長尾の写真は刺された後に動く浅沼委員長に対しもう1度刺そうと立ち向かった瞬間だったのです。
 この結果、浅沼の腰は引け、顔は大きくゆがんで、メガネはずり落ちる瞬間で写っているのが決定的瞬間となったのです。このときに同じ場面を写した写真もありますが、よく見ると体と刃物が流れて写っているのです。当時毎日新聞社は、日本に入って来たばかりのハイランドのストロボを使っていたのです。したがって、撮影の瞬間はシャッタースピードで止められたのではなく、ストロボの閃光時間で止められたのでした。写真的に見ると、流れているほうがいいか、止まっていることがいいのかは意見が分かれますが、すくなくともこの場面はすべてが止まった瞬間の写真が良かったのです。この決定的瞬間は毎日新聞社からアメリカの通信社UPI(United Press International)を通じて世界中に配信され、ピューリッツアー賞と世界報道写真大賞などを受賞しました。
 長尾は受賞の翌年、1962年1月に毎日新聞社を退社してフリーランスのカメラマンとして独立しています。受賞後には国内外で講演の依頼が多数あり、仕事を休まなくてはいけなかったこともあったようです。88歳で亡くなるまで生涯独身を通し、晩年は伊豆に住み、死後数日たって訪ねてきた知人に見つけられ、後日遺族により遺品整理がされたときにピューリッツアー賞の賞状がでてきたとのことです。
(各社の浅沼稲次郎委員長刺殺現場写真は、Web上で見ることができますので、興味ある方は参照ください)

澤田教一(さわだ きょういち)
 澤田教一(1936~1970)は、1966年にピューリッツアー賞を受賞しています。澤田は、1936年2月に青森県に生まれました。1950年4月に青森高校へ入学し、卒業後の1954年、米軍三沢基地内の写真店で働きだし、のちに夫人となるサタさんと知り合い1956年に結婚。米軍のPXでポートレート写真を撮るようになりました。1961年に米軍将校の紹介でUPI通信社東京支社へ入社。1965年UPIで休暇を取ってベトナムの取材を行い、このときの自費取材が認められ7月にはUPI特派員としてサイゴン支局に赴任しました。9月「安全への逃避」を撮影。「安全への逃避」でハーグ世界報道ニュースグランプリ、USカメラ賞受賞、1966年4月には「安全への逃避」でピューリッツアー賞とアメリカ海外記者クラブ賞、「泥まみれの死」でハーグ世界報道写真展ニュース部門第1位、「敵を連れて」で同2位、USカメラ賞を受賞。1968年「フエ城の攻防」でUSカメラ賞などを受賞しました。1968年9月UPI香港支局に写真部長として赴任。1970年1月UPI特派員としてサイゴンに再び出向きました。10月28日、UPIプノンペン支局長とともに取材中のカンボジア国道2号線で狙撃され殉職、34歳でした。1970年にはロバート・キャパ賞、講談社文化賞、アサヒカメラ賞を受賞しています。(経歴は『二人のピューリッツアー賞カメラマン「戦場」澤田教一・酒井淑夫写真集』より、抜粋引用しました)

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澤田教一ピューリッツアー賞受賞作品「安全への逃避」。写真は、『二人のピューリッツアー賞カメラマン「戦場」沢田教一・酒井淑夫写真集』、91ページより、2002年刊、共同通信社

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≪左:澤田教一、右:酒井淑夫、写真は、『二人のピューリッツアー賞カメラマン「戦場」沢田教一・酒井淑夫写真集』より、2002年刊、共同通信社
 今回、日本カメラ博物館に寄贈されたのは、ライカM2(1965)、ローライフレックス2.8C(1953)、澤田教一使用M1スチールヘルメット(内側の頭頂部にはヒョウタンのお守りが仕込まれている)、アメリ国防省の発行したIDカード、世界報道写真大賞のトロフィーとメダル、ピューリッツアー賞の賞状(1965)、ロバート・キャパ賞メダル(1971)、このほか、澤田が撮影した数万点分におよぶフィルムや紙焼き写真があり、いま現在、整理と保存処理を開始したばかりで、これらの写真の展示は未定とされています。
 澤田教一と私は特に接点はありませんが、2000年の8月に当時共同通信社の新藤健一さんと、ニコンF2の元設計者であった佐藤昭彦さんとともに、澤田教一の弟さんと東京で会っています。このときは何でも澤田教一の残したフィルムとプリントの整理のために青森の弘前に皆で行くとかいうことで、弟さんには澤田サタさんが弘前市内の自宅で開いていた「レストラン澤田」の名刺をもらいました。しかし、なぜこの場に私がということですが、実はこの1週間ほど前にやはりピューリッツアー賞作家のエディ・アダムズが日本にお忍びで来ていたのです。このとき、これからエディ・アダムズと会いますよと新藤健一さんに電話したのに対し、後日改めて澤田教一の弟さんが上京したので私も一緒に会おうとなったのです。これは、いま考える不思議なもので、エディ・アダムズと会食後に写真を撮らせてもらった時の同じフィルムのすぐ後のコマに、撮影日は異なるのに新藤さんと澤田教一の弟さんが写っているのです。

■酒井淑夫(さかい としお)
 酒井淑夫(1940~1999)がピューリッツアー賞を受賞したのは1968年です。酒井は、1940年3月に東京で生まれました。1961年明治大学在学中にPANA通信社パン・アジア・ニュースペーパー・アライアンス、後に時事通信社傘下に)で暗室作業のアルバイトをしていました。1965年4月にUPI通信社東京支社に入社して、サイゴン支局に赴任しインドシナ戦争を取材して、6月雨季の南ベトナムで『より良きころの夢』を撮影したのです。1970年10月にカンボジアで殉職した澤田教一の遺骨を香港のサタ夫人に届ける。1971年2月、ケサン基地を拠点にしてラオス侵攻作戦を取材。5月、UPI社を一時退社してアメリカに渡りました。1973年、1月フリーカメラマンとしてサイゴンに入り、パリ和平協定による停戦を受けてタクハン川での捕虜交換などを取材、このとき一ノ瀬泰三が同行しています。UPIサイゴン支局に写真部長として復帰。11月、一ノ瀬泰三もカンボジアへ取材に行き行方不明となる。1974年12月フィリピン・ミンダナオ島モロ民族解放戦線を取材。1975年、陥落寸前のサイゴンカンボジアなどを取材後、9月ソウル支局へ赴任し、朴政権下の韓国を取材。1976年UPI社を退社し、フリーとなり、ニューズウイーク、タイム、ロイター通信社を媒体にして取材する。1986年AFP通信社(Agence France-Presse)東京支局写真部長に就任し、ソウルオリンピック天安門事件、フィリピン政変などを取材。1989年AFP通信社を退社し、ビデオ企画会社を興す。1999年、11月21日、鎌倉の病院にて死去、59歳でした。(経歴は、『二人のピューリッツアー賞カメラマン「戦場」澤田教一・酒井淑夫写真集』より、抜粋引用しました)

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≪酒井淑夫ピューリッツアー賞受賞作品「より良きころの夢」。写真は、『ピュリッツアー賞カメラマン「酒井淑夫写真展」』図録、8ページより、2001年、酒井淑夫写真展実行委員会(新藤健一ほか5名)刊、表紙デザイン西垣泰子≫ 酒井はこのような雨季の場面を何度も経験していて、写真を撮るのに雨の中で人物の肌を表すために、グリーンのフィルターをかけて撮影したと新藤さんに語ったそうです。なお、本書の刊行に合わせて、巻末には元APカメラマンであったエディ・アダムズがメッセージを寄せています。

■エディ・アダムズ(EDDIE ADAMS
エドワード・アダムズ(Edward "Eddie" Adams)は1933年6月、米国ペンシルベニア州ニューケンジントンエドワードとアデレード・アダムズの息子として生まれました。高校在学中に学校新聞の写真班一員として参加。卒業後米国海兵隊に入隊。戦争終結後の3年間にわたり戦闘記録写真撮影を任務として朝鮮に駐留しました。1958~62年フィラデルフィアのイブニング・ブレティン紙(The Evening Bulletin)に勤務した後、AP(Associated Press)通信社に入る。1972~76年タイム誌(Time)の写真部員として勤務した後、再度AP通信社に特派員として戻り、この期間に舟で逃避をはかるベトナム難民の状況を撮影しています。撮影された写真は全米各紙に広く掲載され、米国務省による議会への問題提起を促すことになり、これを契機として時の政権は20万人に及ぶベトナム難民を米国に受け入れる決定をしたのです。
20余年間にわたってアダムズはパレード 誌(Parade)の特派員として世界を駆け廻り各国政府首脳、その他各界著名人のポートレートを撮影。それらの多くは同誌表紙に名前入りで掲載されました。1988年には、フォトジャーナリストとしての自己形成を目指す若者に修練の場を提供することを目指して、エディ・アダムズ・ワークショップ(Eddie Adams Workshop)を開設。ニューヨーク州ジェファーソンヴィル村(Jeffrsonville)を拠点として、講師には世界的に知られた写真家、主要各紙誌の写真編集者を招きました。35カ国におよぶ人権擁護活動家を網羅したアダムズの写真は2000年、ケリー・ケネディー(Kerry Kennedy)著、“力あるものに対峙して真実を語る”(“Speak Truth To Power”;Umbrage社刊)に掲載されています。2004年9月19日、ALSで死亡。エディ・アダムズの写真は2009年にアーカイブとして、テキサス大学オースティン校の施設であるアメリカ歴史研究・ブリスコ-センターに収蔵されました。(エディ・アダムズの経歴は『EDDIE ADAMS VETNAM』の表紙カバーより抜粋引用しました)
 エディ・アダムズは1969年にピューリッツァー賞を受賞しています。「路上の処刑」は、1968年2月1日、ベトコンのグエン・ヴァン・レムを路上で処刑した警察署長のグエン・ン・グック・ローンの写真を撮ったエディ・アダムズの写真は社会的にさまざまな議論を呼びました。以下に、「路上の処刑」が載せられた2冊のエディ・アダムズの写真集を紹介します。

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≪エディ・アダムズのピューリッツアー受賞作品「路上の処刑」。写真は、『EDDIE ADAMS VETNAM』 150ページより、AN UMBRAGE EDITION BOOK、30.5x23cm判、223p.、2008年刊、ISBN -13:978-1-884167-72-0、US $ 50≫ こちらの書籍は、ベトナムでの写真で全体が構成されています。

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≪写真は、『EDDIE ADAMS BIGGER THAN THE FRAME』 208ページより、UNIVERSITY OF TEXAS PRESS, AUSTIN、27x25cm判、354p.、2018年刊、ISBN 978-1-4773-1185-1、US $ 60≫ 1枚のピューリッツァー受賞作品の前にはそこに至るまでの経緯を示すようにアダムズが撮影した連続した写真がどちらの本にも掲載されています。BIGGER THAN THE FRAMEには、1983年から2002年までのパレード誌の表紙写真、プレスカメラマンとして撮影したジョン・F・ケネディビートルズの写真なども掲載されています。

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≪エディ・アダムズ、2000年8月、神田神保町三省堂地下「ローターオクセン(放心亭)」にて、ライカM6TTL、ズミクロン35mmF2、NP400-PR、Photo by Y. Ichikawa≫

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≪エディ・アダムズと会食後に写真を撮らせてもらった時の同じフィルムのすぐ隣のコマに、撮影日は異なるのに新藤健一さんと澤田教一の弟さんが写っているのです≫

 ところで、なぜエディ・アダムズが日本なのでしょうか。少なくとも澤田教一、酒井淑夫とは、AP通信社、ベトナム戦争従軍カメラマンという共通点があります。『二人のピューリッツアー賞カメラマン「戦場」、澤田教一・酒井淑夫写真集』には、エディ・アダムズが『撮らなかった写真』と題して従軍カメラマンとしての立場から写真の必要性を1ページにわたって寄稿しています。

 エディ・アダムズにとって澤田教一とはどういう存在だったのでしょうか?それぞれの所属、出身国は異なっても各社の写真家は強い絆で結ばれていたといわれています。それは前線の兵士が日夜死の恐怖に直面していたのと同様、彼らも同じ状況の中で仕事をしていた必然でもあったのです。彼はそうしたさなかに澤田を失いました。エディ・アダムズは、澤田の作品を高く評価しており、3年先行した澤田の受賞を自分のことのように喜んだといわれています。Kyoichi Sawadaの名は、ベトナムで失った他の5人の仲間(ラリー・バローズ、アンリ・ユエ、ヒュン・タン・ミィ、ミシェル・ローラン、ケント・ポター;Larry Burrows, Henri Huet, Huynh Thanh My, Michel Laurent, Kent Potter)とともにエディ・アダムズ・ワークショップの広大な敷地の一角に据えられたテーブル形の石碑に刻まれています。

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≪ニューヨークにあるエディ・アダムズ・ワークショップの敷地の一角に据えられたテーブル形の石碑。背後はワークショップの建物(もとは酪農家の大型納屋とサイロ)。Photo by Hank Nagashima≫

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≪30年の時を経て苔むしていますが、石碑にはベトナム戦争で亡くなった澤田教一ほか、Larry Burrows, Henri Huet, Huynh Thanh My, Michel Laurent, Kent Potterら5人のカメラマンの名前が刻まれています。Photo by Hank Nagashima≫

 ■半世紀を過ぎた日本人ピューリッツアー賞作品は
 かつて日本人の報道写真家、長尾靖、澤田教一、酒井淑夫の3人がピューリッツアー賞の写真部門を受賞した1960年代から半世紀を過ぎました。今日まで、その間ピューリッツアー賞の授与は続いているのですが、調べてみると日本人でピューリッツアー賞をとったのはこの3人しかいないのです。いずれも、アメリカの通信社であるUPI(United Press International)とAP(Associated Press)通信に関係した写真が受賞したわけですが、この先、これらの作品がどのような形で継がれていくか興味あるわけです。今年2020年は、澤田教一没後50年であり、少なくともこの時期、日本カメラ博物館に澤田教一のカメラ機材、写真などが収蔵されたことにより、もう一度過去のピューリッツアー賞作品を呼び起こすことになったのは意義あることです。このようなことがなければ、私自身がピューリッツアー賞作品についてまとめることのきっかけになったわけで、ありがたいことだと思うのです。
 なお、ベトナム戦争を代表するもうひとり日本人の報道写真家として岡村昭彦(1929~1985)があげられます。岡村は1962年PANA通信社の特派員となり、ベトナム戦争を取材しライフ誌に掲載され、アメリカ外人記者クラブ海外写真部門賞を受賞。1963年にはUPI通信東京支局の沢田教一と出会っています。岡村のベトナム戦争関連の写真集は「これがベトナム戦争だ」(毎日新聞社刊、1965)を始め多くの書籍が出版されています。晩年ホスピスなどの問題に取り組み、現在は静岡県立大学に岡本の関連書籍・文献約18,000冊が収蔵され「岡村昭彦文庫」として開設されています。
 最後に本文をまとめるにあたっては、澤田教一と酒井淑夫2人の関連資料提供と話をしてくださった元共同通信社・新藤健一氏、エディ・アダムズと個人的に親交の厚かった元タムロンの長島久明氏にも資料提供並びに事実確認で大変お世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。 (^^)/

キヤノンRF600mm F11を使ってみました。≪進化するレポートVer.01≫

 キヤノンからEOS R5とEOS R6の発表に合わせて、“RF600mmF11 IS STM”と“RF800mmF11 IS STM”が発表され、7月下旬に発売が開始されました。実は当方すでにキヤノンミラーレスの「EOS R」と「EOS RP」を購入してきたので、「EOS R5」はスルーすると書いたのですが、わがスポンサー氏が長年続けてきたのに休むのは良くないというので「EOS R5」とRF15~35mm F2.8 L IS USMを求めてレポートしましたが、さらに「RF600mmF11」は面白そうだからこちらも使ってみてくださいというのです。ということで、「RF600mmF11」と「エクステンダーRF1.4」を注文したのですが、なかなかエクステンダーRF1.4が来ないので、しびれを切らしてということもありますが、あまり時間がかかると熱が冷めてしまうので、とりあえずレンズだけ引き取ってきました。

 そこで600mmF11を手にしたので、進化するレポートとしてアップしました。ご覧ください。

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≪EOS R5ボディに装着したRF600mmF11 IS STM≫ まずはボディであるEOS R5に取り付けてみました。このレンズのテクニカルな面は後述しますが、沈鏡胴を採用していて小型・軽量なのです。写真は撮影状態、つまり沈胴を引伸ばして撮影状態にあります。この状態で手に持って構えてみるとハンドリングも良く、何を撮ろうかと考えました。

■超望遠で何を撮ろうかな

 この時点で考えていた被写体は、動くもの、ステージ、花などを思いながら、外観写真と「何を撮るかな?600mmF11」と書きFaceBookに載せると、瞬時に「とりあえず月を」撮ったらと返信が、ある写真大学のS先生から返事をいただきました。なるほどです、その日は中秋の名月の翌日10月2日なのです。 早速、あれこれ設定を考え、わが家のベランダから撮影したのが下の写真です。この時期は、アマチュアから専門家まで多くの方が月の写真をアップしているので、皆さんのと比較してみると、かなりベテランの方が撮影したのに近い月の画像が1発目から撮影できたのです。これは驚きでした。実際下に載せた写真は、2回目に撮影した結果ですが、大きく変わるところはありません。先生に提案をいただいてからわずか5分ぐらい後のことでした。

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中秋の名月+1日≫ CAF、マニュアル露出、F11・1/2000秒、ISO 1000、AWB、手持ち撮影、レタッチソフトによるプラス側にトーンカーブ補正。最初は、CAF、絞り優先AEで、ISO-AUTO、-3EV露出補正で撮影しましたが、露出はオーバーでした。このためトーンカーブ補正で上に掲載したのと同じように見れるようにしましたが、もともとオーバーオーバー気味の画像を適正にするためにトーンカーブ補正を行うと、場合によっては白飛びする部分もでてくるだろうと、2度目の撮影では露出設定をすべてマニュアルにして、わずかにアンダーになるように露出を与えたのが上の写真で、オーバー側にトーンカーブ補正してあります。

 この月が撮像素子に写る大きさは、焦点距離600mmだと直径約6mmに写るので、同じ焦点距離ならAPS-C、マイクロ4/3、1型でもみな同じですから、撮像素子の寸法が小さくなるにつれて、徐々に周辺の黒いスペースが消えていくというわけです。ただ、エクステンダーを使って焦点距離を変えると、1.4倍のエクステンダーでは840mmで8.4mm、2倍のエクステンダーでは1200mmとなり月は撮像素子に直径12mmの寸法で結像することになります。合焦点までの距離はExifには4294967295mとでました。中秋の名月の場合は地球から月まで約40万kmとされていますから、測定誤差の範囲かわかりませんが、昨今のカメラはすごいとなります。せっかくですから、今回の作例には合焦ポイントまでの撮影距離データをすべて掲載することにしました。

 さてこの月の写真が、カメラを構えファインダーをのぞいて押すだけで簡単に写ったのは驚異です。まさにこれがF11という暗いレンズであり、ファインダーは暗さを感じさせなく、AFに連動し、高感度に強いデジタルのミラーレス一眼ならではのことであり、さらにレンズ側とボディ側の協調により5段もの手振れ補正効果を得られるというEOS R5とRF600mmF11 IS STMでの成果であるわけです。どうしてCAF(コンティニュアスAF)モードで撮影したかというと、手持ち撮影で600mmという焦点距離では、手振れ補正が働くこととは別にして、たぶん小刻みに揺れているだろうと考えたからで、ONE SHOOT AFでは決められないと思ったからです。なお撮影はカラーで、ホワイトバランスはAUTOにしての撮影であって、モノクロ変換はしていません。

■小型・軽量の超望遠

 月の撮影が大変うまくいったことに気をよくして、実は翌日に朝から20分ほど屋外で撮影してみましたが、あっという間に面白い写真が複数枚撮れてしまいました。それをまず紹介したいのですが、ここはやはりどのような技術でこのようなレンズが製品化されたのか考えてみました。まずこのレンズは、鏡胴を沈胴式にして、光学系には2つの回折格子を密着させたDOレンズを使い色収差をはじめとした諸収差を補正すると同時に小型化を図っているのです。下には、従来のEFレンズとRF600mmF11の重量・寸法比較を示していますが、沈鏡胴とDOレンズの採用、さらには最大口径がF11であることに加え、鏡胴のエンジニアプラスチック化を大胆に進めたためだと思うのです。DOレンズは、かつては高級品でレンズ鏡胴前部に緑色の線を入れて、他レンズとの差別化を図っていましたが、このレンズでは線を省いていますが、それだけ回折格子を用いたレンズが一般化したということなのでしょう。

 この結果、RF600mmF11単体で約930g(800mmF11は1,260g)という軽量を達成して、バッテリー、カードを含めたボディの重さ約740gを加えても1.7kg未満となり、私でも首からさげて歩くのは特に苦になることはありませんでした。実際は同様の重さのカメラを2台首からさげて歩き回りました。このレンズのもう少し詳細な技術に関しては、発表の時に書きましたのでそちらをご覧ください

 

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 ≪EF600mmF4とRF600mmF4の比較とDOレンズの配置≫  800mmF11のレンズ構成は、DOレンズの前に凸レンズを配置した形で焦点距離を増しています。それぞれのレンズに×1.4のエクステンダーを付ければ840mmF16、1020mmF16、×2のエクステンダーを装着すれば、1200mmF22、1600mmF22となりそれでもAFが働くというのです。注文して未着の×1.4エクステンダーの到着が待ち遠しいです。なお、この時期ネット上の安値実勢価格でRF600mmF11が96,000円、RF800mmF11が112,000円、×1.4エクステンダーが63,000円、×2エクステンダーが74,000円強です。

 ■いつもの英国大使館とランダムな撮影

  薄日のさす朝でしたが、それでも十分とさっそく屋外に引っ張り出してみました。最初に向かったのはいつもの英国大使館です。撮影位置は鉄柱のバリケードがあるので毎回定位置ですが、いつもなら快晴の日の朝10時15分ごろ、35mm焦点距離レンズをF5.6に絞って、正面玄関屋根近くにある紋章にピントを合わせての撮影となりますので、画角比較をされたい方は「キヤノンEOS R5を使ってみました」をご覧ください。

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≪英国大使館エンブレム≫ F11・1/640秒、ISO-AUTO 3200、AWB、手持ち撮影、合焦点まで33.2m。いつもなら画素等倍に拡大しての画面ですが、ノートリミングでこの大きさですから、さすが600mmの画角、4500万画素の質感です。当然のことですが、このF11という開放値の描写も十分満足できるものです。

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≪Snap Back Photo≫ CAF、  F11・1/640秒、ISO-AUTO 1250、AWB、手持ち撮影、合焦点まで107m。道を歩く女性の後ろ姿が素敵だったので、だいぶ先まで歩いていくのを見届けてシャッターを切りました。もちろんAFはコンティニュアスなので、女性の姿を追い続けています。手前の歩道の障害物、奥の歩道の木々や歩いてくる男性などが、圧縮感とともに程よくボケていて狙った女性を浮き立てていますます。

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≪走る自転車≫ CAF、  F11・1/800秒、ISO-AUTO 1600、AWB、手持ち撮影、合焦点まで23.2m。ゆるやかな坂を下ってくる自転車を狙ってみました。撮影距離からするとしっかりと自転車を漕ぐ、こちらに来る人物を面白いほど追いかけています。

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≪走行する車≫ CAF、  F11・1/800秒、ISO-AUTO 1250、AWB、手持ち撮影、合焦点まで206m。遠距離を走行する車を狙ってみました。狙ったのは中央の白いミニバン。走行をしっかり追いかけていますが、運転手の顔も反射がなければ識別できるほどのAF追随能力です。動いている被写体を何のためらいもなくシャッターが切れるのは、すっごく楽しいです。

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≪大輪のダリア≫ CAF、  F11・1/400秒、ISO-AUTO 12800、AWB、手持ち撮影、合焦点まで4.3m。近接での描写を試してみました。F11という明るさだと、この程度の大きさの花だと手前から花芯までピントが合うのはなかなかいい。シャープさも必要十分だと思います。

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彼岸花 CAF、  F11・1/640秒、ISO-AUTO 8000、AWB、手持ち撮影、合焦点まで13.9m。中距離にある彼岸花の群生を撮影しました。この感じからすると600mmF11というレンズでも深度は浅いように感じました。計算すると、この距離だと29cmぐらいが深度です。

■楽しくカジュアルに使いこなせる超望遠レンズ

 今回の撮影はここまでにします。後は、×1.4エクステンダーが来てからのお楽しみとします。従来600mmクラスの超望遠レンズでの撮影には三脚は必須だったわけですが、少なくともこのレベルの撮影が散歩的なぶらぶら歩きで気楽に撮れてしまうのですから、楽しいです。

 そもそも焦点距離600mmか800mmか、エクステンダーは×1.4か、×2.0かとその選択に悩むわけですが、600mmを使って思ったことは、何でも大きければいいということではなく、しっかりとした撮影ターゲットが決まっている以外は、これ以上は長くても、倍率が高くても使う頻度が少なくなるような気がするのです。ちなみに、ちょうどこの時期に北海道鶴居村でタンチョウ撮っているKさんに問い合わせると、撮影距離からすると焦点距離600mmぐらいがちょうどいいということでした。 2020/10/8 (^^♪

 引き続き完結編では、×1.4エクステンダーが来たので、新たな被写体にチャレンジしてみました。

こんなカードアダプターが欲しい

 久しぶりに持ち運び用のノートパソコンを 買い換えました。それまでの機種がWindows10になって動作が重くなったのです。いろいろ悩みましたが、購入してみると前モデルよりは軽くサクサクと動くようになったので助かりました。前モデルは6年前の購入ですが、価格と償却を考えるとまずまずかなと思うのです。私の必要とする機種は、小型で1kg未満であることなどですが、6年間で値段は1/2に下がりましたが、1)Microsoft OfficeWPS Officeになった、2)インターネットはWi-Fi接続だけになった、3)SDカードスロットはマイクロSDカードスロットになった、4)USB3.1(Type-C)とUSB 3.0×2、5)HDMI端子などがあるのですが、新規機能を取り入れながらも何となくコストダウンされている感じがするのです。しかし、よくよく考えるとこれで必要十分ということがわかりました。

 もうひとつ悩んだのが、必要に応じてデジタルカメラの画像をこのノートPCで開くのにはどうするかということです。私の使うデジタルカメラの多くはSDカード仕様なのですが、通常のSDカードは爪が折れたりするような物理的な損傷がたまに発生するために、最近はハウジングが丈夫なMicro SDカードに順次切り替えて、アダプターを使って利用していたところなのです。このMicro SDカードを読み込ませるには、専用スロットのあるカードリーダーかアダプターがあればいいだけなのです。そこで、取材先などで簡単にデジタルカメラのデータをこのノートPCでSDカードやMicro SDカードのデータを読み込ませるには小さなマルチリーダーを持てば、スマートフォンデータを含めてすべて取り込めるのです。

 それでも唯一対応できないのがXQDカードです。何とかMicro SDカードアダプターのようなものをXQDカードのハウジングを利用してできないかと思うのです。もしSDカードを入れるのは物理的に難しいならば、もっと小型なMicro SDカードを入れればいいわけです。もしこんなアダプターができたら、一気に利便性が増し、撮影コストが下がり、さらには撮影テーマによるカード毎の保存なども安価で気軽に行えるのではないでしょうか。

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左上から、①PCカードCompactFlashアダプター、②CompactFlash、③SD-CFアダプター(CompactFlashのハウジングにSDカードが収納され普通に使える)、④SDカード、⑤MicroSD・MicroSDHC・MicroSDXCアダプター、⑥MicroSDカード、⑦XQDカード

 XQDカードのハウジングの中にMicroSDカードが入り、通常のメモリーカードとして使えれば素晴らしいことです。既存のXQDカードを使うカメラの価値観がぐんと上がることは間違いないのです。MicroSDカードが2つのアダプターを介せば、PCカードまでつながるのは素晴らしい規格だと思うのです。

 

神話の8枚玉「ズミクロン35mmF2」が復刻

 1958年に発売された距離計連動ライカ用の8枚玉「ズミクロン35mmF2」が、中国で「LIGHT LENS LAB V2LC 35mmF2」として復刻されたというのです。どのようなものか、さっそく取り寄せて使ってみました。まずはオリジナル8枚玉ズミクロン35mmF2と中国製復刻版ライトレンズをフィルムとデジタルのライカに装着して、外観から比べてみました。

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≪ 左:オリジナル・8枚玉ズミクロン35mmF2、右:復刻版・LIGHT LENS LAB V2LC 35mmF2≫

 ライトレンズの“V2LC”は、硝材のロット番号だそうで、L はLead 鉛の英語の略、Cは単層コーテイングの略だそうです。つまりライトレンズには鉛入りガラスが使われているのです。この辺りは1958年に製造開始したオリジナルに対するこだわりだそうで、ある程度の量は確保されているようですが、大量に製造するとなるとエコガラスに移行するのだそうです。さらにこだわりは、オリジナルの8枚玉を分解して、寸法・曲率を計測して、ガラスの素材まで同じにとこだわった部分のようです。このうち各レンズは、直径で1mm大きく作られていて、オリジナルズミクロン35mmF2の交換部品にならないようにわざと大きく作られていて、オリジナルレンズの存在を侵さないようにとの配慮からだそうです。

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≪左:ライトレンズのレンズケース、中:レンズリアキャップ、右:レンズキャップ≫

 ケースはコダックのエクトラのレンズケースに似た感じのアルミ製の円筒で、つや消し黒のアルマイト加工がなされています。表面には、6群8枚のレンズ構成図と共に、漢字で“光影鏡頭實驗室 LIGHT LENS LAB”と刻まれています。光影は、光と陰であり、鏡頭はレンズ、實驗室は研究所とか研究室なのでしょう。写真中央はレンズのリアキャップで、レンズケースと同じでレンズ構成図が縮小されて刻印されています。写真右はレンズキャップでやはりレンズ構成図が描かれていますが、これだけは真鍮製でずっしりと重いです。

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 銘板を正面から見ると、復刻だということでも銘板はそっくりさんではなく、あえて探すならば“1:2 / 35”という表記ぐらいで、あとはLIGHT LENS LAB V2LC の商品名と、赤くCHINAと書かれ、1,000本中の472番目というシリアルナンバーが打たれ、さらに“stkb0006”と刻まれています。聞くところによると、このレンズは中国国内向けに製造されたもので任意の8桁の文字を書き込んでもらえるのだということで、これは日本での輸入元である“焦点工房”が注文したレンズの6番目ということです。海外向けのバージョンは、刻印の特注はできなく、すべて“8element”と刻印されるというのです。ところで、なぜ“LIGHT LENS”なのかと考えてみました。ライトレンズとライカレンズを読んでみると、ライカとライトでありイントネーションが同じなのだからと考えたのですが、どうやら単純に“光影鏡頭實驗室”を英語に翻訳すればライトレンズになるということでした。

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 レンズ交換のフィンガーポイントを中心に側面から見ると。左:ズミクロン、右:LIGHT LENS。フィンガーポイントはオリジナルは赤い樹脂製であるのに対し、中国製はルビーのような赤い人口宝石が埋め込まれています。樹脂製の赤いフィンガーポイントは表面が反射するので赤く見えますが、宝石は光を透過するので赤黒く見えます。さらにこの写真からわかることは、ライトレンズは不等間隔絞りであることです。この部分は次世代では等間隔絞りに改良されるようです。また無限遠ストッパー脇の立ての溝が5本が4本と少なくなっていますが、機能的には指掛りはまったく同じで、パッチンと止まる感覚は一緒です。この写真からはわかりにくいですが、レンズ鏡筒はオリジナルズミクロンがアルミであるのに対し、ライトレンズは真鍮だそうで、そのためにレンズ本体だけの重さを測ると165gと230gで、ライトレンズの方が65g重いのです。ただこれはレンズ単体での重さであり、ボディに付けるとその差はわかりにくいかもしれません。

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 レンズ側面から見ました。今回使ったオリジナルレンズはドイツ製ですが、8枚玉ズミクロンにはカナダ製もあります。ライトレンズは、漢字で“中國製”と刻まれています。輸出モデルは“中國製”の部分はMade in Chinaとなるそうです。実はこのカットではそれぞれにE39(39mmφ)UVフィルターを装着してあります。オリジナルにはライツ製を、ライトレンズには復刻版を付けてあります。少なくとも刻まれた名称はそれぞれですが、機械的な加工部分はほとんど同じように復刻されているというこだわりです。さらに聞くところによると専用フード“IROOA”も復刻されていますが、日本にはまだ入ってきていないということです。

 ■いまなぜ復刻版8枚玉ズミクロン35mmF2か

 外観各部を見てお分かりのようにデザインはかなり近似しています。それにしてもなぜ中国で8枚玉ズミクロン35mmF2が復刻されたのでしょうか。それはまず第一に、中国で今ライカブームが起きているからではないでしょうか。

 そもそもズミクロン35mmレンズが、神話としてブームになったのはいつ頃のことだったのでしょう。私の記憶では、少なくとも20年以上前ことであり、日本における1990年代後半におけるライカブームが到来して以降の事だったと思うのです。当時はライカとつければ本は必ず売れた時代でもありました。非球面レンズになる以前のズミクロン35mmF2を歴史的に見れば、初代が8枚構成で1958年に登場し、第2世代が1969年に6枚構成で登場し、さらに7枚玉が1979年に登場しています。私はズミクロン35mmF2の第1世代8枚玉と、第2世代6枚玉を比較したことがありますが、基本的には6枚玉のほうが良かったという記憶があります。要はクラシックカメラやクラシックレンズの価値観は、コレクターズアイテムとして考えると、良く写るということも重要ですが、それ以上に生産数が少ない希少性であることも大切な要素となります。さらに枚数が多ければいいというわけではありませんが、中古価格は枚数が多い順に高価となっていました。

 このライトレンズの製造の仕掛け人は、中国の周さんという、40歳代のある大手企業の社長であり投資家のようで、このライトレンズは趣味で作っているというのです。すでに3年の時間を費やして出てきたのがこのライトレンズで、時間・投資金などは関係なく、完成度の高い、完璧な復刻版を目指して物作りをしているというのです。従来からのレンズを大量に生産し、新商品をどんどんだしてビジネスを成功させるメーカーとは違う道で歩んでいる人だそうです。

 いずれにしても、8枚玉ズミクロンが数の上から希少なわけで、クラシックライカファンなら一度は使ってみたいレンズということになります。そして単純に、日本の10倍も人口の多い中国ですから、クラシックライカファンも日本の10倍いてもまったくおかしくないのです。この結果、8枚玉ズミクロンへの要求も10倍高いということがいえ、復刻版の8枚玉ズミクロンが成立し存在する理由かもしれません。

 もっともこの復刻版というかライトレンズは、いわゆる海賊版やコピー商品とは異なり、堂々と独自ブランドを付けて、8枚玉の復刻であることをうたっているのが特徴です。日本だと名称は同じでも、性能は現代にマッチさせたレンズとするのが多いのですが、この辺りは中国と日本の物に対する考え方、大げさに言えば文化の違いであって、性能までを復刻させるという考えを理解するにはなかなか難しいです。もちろんこれは、周さんという企業家の趣味の領域であって、現実には、日本の最新レンズに、価格、デザイン、光学性能、機能など追いつき追い越せの競争が別のグラウンドで行われているのも現実です。

■オリジナルと復刻版を実写で比較しました

 撮影はいつもの英国大使館正面玄関で晴天時午前中の10時15分に行いました。最近ライカマウントレンズでは、フルサイズのミラーレス機でマウントアダプターを使って撮影を行うのがピント合わせの正確さから流行っていますが、ここでは、ライカマウントレンズであることから、まずはデジタルの距離計連動機である「ライカM9」を使い撮影してみました。

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≪いつもの英国大使館・8枚玉ズミクロン35mmF2≫ ライカM9、F5.6・1/1000秒、ISO-AUTO160、AWB。

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≪いつもの英国大使館・ライトレンズ35mmF2≫ ライカM9、F5.6・1/1000秒、ISO-AUTO160、AWB。

 さて、この2枚の写真の違いは分かりますか。二重像合致式の距離計で中央屋根直下にあるエンブレムにピントを合わせて、フレーミングをし直してシャッターを切るのですが、フレーミングの段階でした視野枠を下すのですが、角度を振ったことにより、いわゆるコサイン誤差が生じるのではないだろうかという危惧はあるのですが、撮影距離が十分にあることと、絞りF5.6と絞り込んでの撮影ですから、実用上は被写界深度の関係から無視してよいと考えました。撮影は、絞り優先のAEで行いましたが、同じボディで露出はどちらもF5.6・1/1000秒ということから、どちらのレンズも同じような透過光量であったということがわかります。撮影にあたっては、それぞれ専用のUVフィルターと専用フード“IROOA”を着けて可能な限り同じ条件で行いました。なお発色傾向はライカM9の撮像素子はCCDであることで、ライカM(Typ240)以降のモデルがCMOSであることなどから、大きく違いますが。この2カットを見る限りでは、撮像素子の影響は免れませんが、基本的に感度が少し低めにでているところの影響が大だと思うのです。

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≪エンブレムを画素等倍に拡大してみました、左:ズミクロン35mmF2、右:ライトレンズ35mmF2≫ 結果として、2つの画像を画素等倍まで拡大して比較してみると、ほとんど差はありません、あえて言うならばライトレンズの方が解像力がわずかに高いのです。もし同じレンズだとしたら十分に個体差の範囲とも言えます。私の経験ではそのままA3ノビに伸ばしてどんなに子細に見てもその差はでてこないでしょう。その程度の差なのです。以後、同じようにしてさまざまな場面で8枚玉ズミクロン35mmF2とライトレンズ35mmF2を撮り比べましたがわずかにライトレンズがいいのですが、大きな差はでてきません。そこで、以下掲載の作例はライトレンズだけを紹介することにしました。

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≪ブティックの店頭にて≫ ライトレンズ、ライカM9、F4・1/2000秒、ISO-AUTO160、AWB。この写真から何が見えるかというところでは、手前のワンピース胸のあたりを見るために画素等倍まで拡大すると縦横繊維の1本ずつがどうにか読める柔らかい感じでした。むしろここで注目したいのは、左奥に広がるアウトフォーカス部分の癖のない柔らかなボケの感じです。

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NISSAN 2020 Concept Car ≫ ライトレンズ、ライカM9、F2.8・1/60秒、 ISO-AUTO400、AWB。銀座の日産ショールームに置いてあったコンセプトカーです。ゆっくりと回転しているところをシャッターを押しましたが、タイヤの側面のDUNLOPの文字などはゴムの質感がでているし、さらにホイールの金属部分やディスクブレーキ部分もシャープな感じの描写です。

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≪写真家 清水哲郎さん、トウキヨウカラス写真展会場にて≫ ライトレンズ、ライカM9、F2・1/60秒、 ISO-AUTO200、AWB。左目にピントを合わせフレーミングをしましたが、顔はかなりアマイ描写となりましたが近距離だけにこれがコサイン誤差の影響かと考えました。清水さんは心優しい方で「顔はこのくらい柔らかい描写のほうがいいですね」といってくれました。感謝です。

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≪写真家 ハービー・山口さんの写真展『50年間のシャッターチャンス(1970-2020)〜その方の幸せをそっと祈ってシャッターを切ってきましたが、いかがでしょうか』会場にて≫ ライトレンズ、ライカM9、F2・1/60秒、 ISO-AUTO1250、+1 EV、AWB。コサイン誤差でピントのズレがないようにと、距離計のズバリ合致部分に顔を配して撮影しましたが、やはり柔らかな描写となりました。どうやら絞り開放の描写は極端に甘いようです。実は、ズミクロン、ライトレンズを比較していた時からも感じていたことで、単に解像していないということだけではなく、フレアも発生しています。さまざまな絞り値で使った範囲では、ズミクロン、ライトレンズともかなり絞り開放は柔らかく、1~2段ほど絞るだけでキリっとピントが立った写りをする、極めて絞りによる画質の立ち上がりが早いレンズだと言えます。ただしホワットした描写はこの場には向いていました。

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≪若い2人、ハービー・山口さんの写真展会場にて≫ ライトレンズ、ライカM9、F2・1/60秒、 ISO-AUTO 1250、+0.6 EV、AWB。ジーっとハービーさんがノクチルックス50mmF1.0で撮影した6枚組カットを見つめる2人。大口径ならではのボケ具合に見いっていたのでしょうか。最近の写真展会場の照明は、世の中の流れに沿って、LEDランプになる傾向がありますが、スポット性が高く周辺の壁と作品との輝度比があるために、目には白い壁もライトから外れた所は落ち込んで黒く見えます。写真的にはハート形の2人の世界に包まれているようでいい感じですが、どうしたものでしょうか? 見たままに写るのが写真だとすると、カメラが解決するものか照明法が解決するものなのでしょうか。

 ■フルサイズミラーレス機で使ってみました

 個人的には、デジタルになって距離計連動機には限界があると感じています。その点において同じライカレンズでもミラーレス機でマウントアダプターを介してピント合わせして撮影したほうが大伸ばしに耐えられる確度の高い写真が得られると思っています。実際、上掲のハービーさんの写真展をやっていた新宿 北村写真機店のライカレンズ担当のスタッフは、ライカレンズをミラーレス機で使う人がほとんどだというし、私の周辺の古典レンズ好きの仲間たちはミラーレス機で撮影する人が事実上すべてとなりました。

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≪マウントアダプターを介して、左:ライカのLマウントを使ったフルサイズミラーレス機の「シグマfp」に8枚玉ズミクロン35mmF2、フルサイズミラーレス機のスタンダードとして「ソニーα7RⅡ」にライトレンズ35mmF2を装着。それぞれ純正のUVフィルター、ライカの専用フード“IROOA”を取り付けて撮影に臨みました≫

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≪解像度・フレアの具合、周辺光量の低下を見てみました≫ ライトレンズ、ソニーα7R2、F2・1/25秒、 ISO-AUTO 100、AWB。どうも絞り開放F2では、ピントがあまいのとフレアが目に付くので、8枚玉ズミクロンとライトレンズを比較してみました。ピントは右ページのピンクの付箋の先に置いた「ライカズマリット35mmF2.5」のシリアルナンバーの部分を12.5倍に拡大してピントを合わせました。照明は間接的な自然光下でわりと均等に光は回っていますが、画面全体の画像からは周辺光量の低下が目につきますが、不思議と周辺光量の低下の具合はオリジナルも復刻版も大きく変わりませんので、掲載はライトレンズだけにしました。さらにどちらもピントを合わせた部分を画素等倍に拡大して比較したのが以下です。

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≪左:8枚玉ズミクロン、右:ライトレンズ≫ 絞り開放だとこのような解像でフレア成分があることもわかります。私としては他のカットも同様でしたが、わずかにライトレンズのほうがフレアも少なく解像感も高く感じます。さらに発色の違いは、8枚玉ズミクロンが1958年、8枚玉ライトレンズが2020年ですから、62年前の硝材とコーティングではこの程度の差がでてもまったく不思議ではありません。さらにレンズそのもの、さらにはフィルターを透かして見た状態では、どちらもオリジナルのほうが淡く黄色に色づいて見えるのです。それがこの撮影結果に効いてきたのかもしれません。1950年代のレンズの硝材には、いわゆるランタン、クラウンなどの新種ガラスが使われてだしていた時期でもあるわけですが、現在では鉛フリーのエコガラスであるのに、ライトレンズでは硝材も当時のまま鉛ガラスを確保というのもちょっとしたこだわりです。

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数寄屋橋公園から≫ ライトレンズ、ソニーα7R2、F5.6・1/125秒、 ISO-AUTO 200、AWB。ピントは背後の東宝のビルの壁面に合わせました。絞りF5.6と絞ってありますが、手前の柳の葉はすべて前ピンになっていますので柳の葉にはピントはきていなませんが、東宝朝日新聞のビルの壁面はみごとなほど解像していて、まったく遜色のない描写特性です。

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≪黄色く色づいた葉っぱ≫ ライトレンズ、シグマfp、F2・1/125秒、 ISO-AUTO 200、AWB、曇天。F2とF2.8の2カット撮影しましたが、左右640ピクセルではフレア成分は別にして解像的な差は見えませんので、合焦部の画素等倍拡大でその差を見ました。

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 ≪黄色く色づいた葉っぱ≫ ライトレンズ、シグマfp。左)F2・1/125秒、 ISO-AUTO 100、AWB、曇天。右)F2.8・1/80秒、 ISO-AUTO 100、AWB、曇天。それにしても、F2から1絞り絞り込んだF2.8で、これだけすっきりして、解像力的にも劇的に立ち上がるレンズは初めてです。どおりで、F2開放で撮影した清水哲郎さんとハービー・山口さんの顔が柔らかく描写されたわけです。

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≪写真家 飯田鉄さん、写真展「美徳の譜」会場にて≫ ライトレンズ、シグマfp。F2.8・1/60秒、 ISO-AUTO 100、AWB。ズバリ真ん中に飯田さんを配してピントを目に合わせました。絞りF2.8に絞ったことと、中央にいてもらったことが功を奏して、画素等倍にまで拡大すると、飯田さんの左右の目のまつ毛、眉毛は1本ずつシャープに解像していてメガネフレームともピントはばっちりです。何かすごいレンズです。画素等倍のクロップ画像を作りましたが、掲載は控えさせていただきました。

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≪夜の新宿通り≫  ライトレンズ、シグマfp。F2・1/30秒、 ISO-AUTO 100、-0.7EV、AWB。絞りF2開放で、夜の新宿通りの光源をアウトフォーカスして見てみました。これを見てみると、左右のボケがかなり崩れているのです。中央部はほとんど真円に近い丸ボケですが、左側の街灯の部分は非点収差の影響でかなり乱れています。このような絞り開放におけるアウトフォーカス時のボケが乱れる例としては、1950年代のズノー50mmF1.1に見ることができるわけですが、この時も1段F2に絞ると劇的に画質が向上したのですが、ライトレンズも同じといえます。

 ■現代に通じるクラシックレンズの味

 最近はマニュアルフォーカスながら、中国製の50mmF0.95や85mmF1.2やF1.4、35mm1.2やF1.4などの大口径レンズが続々とでてきていて、日本の市場にも時間差なく登場してきていますが、非日常的な大口径レンズが安価であることはレンズグルメにとっては大いに気になるところです。その中にはある意味で先端のレンズを隙間商売的に出てくるのに対して、60年以上も前の8枚玉ズミクロン35mmF2を鉛ガラスを使って堂々と復刻するというのも中国であるわけです。

 今回のズミクロンとライトレンズに最初は厳密に1:1の画質比較を行っていましたが、きわめてわずかにライトレンズの方が性能が良いのですが、さまざまな場面であまりにも類似していることから途中から比較はやめました。それにしても、そこまで似ているのを作るのはどのような考えに根差したものなのでしょうか。また途中で比較はやめたもうひとつの理由としては、オリジナルのズミクロンを持つ人は復刻のライトレンズを購入しないだろうし、復刻のライトレンズを持っている人はオリジナルを持ってないだろうと考えるのが妥当だろうと考えたのです。

 最終的にライトレンズを使って感心したことは、8枚玉ズミクロン35mmF2と外観・形状が似ていることもありますが、それ以上に感心したのは描写特性があまりにも似ていることでした。特に絞り開放ではどちらもホヤホヤの画像ですが、1段絞るとシャープになるというのは驚きです。昨今のレンズでは絞り開放からシャープな像を結びますが、まったく異なるわけで、まさに一部でいわれるクラシックレンズの味そのものです。いがいと、この描写特性をわかって使えばレンズの味の変化として受け入れられるのかなと考えました。オリジナルの8枚玉ズミクロン35mmF2が登場したのは1958年。その時代はまさに黒白写真が全盛であったわけですが、60年を経た今日でも絞り開放で黒白写真を柔らかく仕上げて、少し絞ってカラーでしっかり決めるという描写が楽しめます。

 今回たまたまこの時期に知ったのですが、札幌在住のクラシックレンズファンの陸田三郎さんはカナダ製の8枚玉ズミクロン35mmF2を所有されていて数々の作品づくりをされていますが、絞り効果による描写特性は当然のことといえドイツ製とまったく同様なのです。つまり絞り開放の柔らかな描写は、個体差ではなく8枚玉ズミクロン35mmF2に共通する特性なのです。

 今後ライトレンズは、サファリ・オリーブグリーン色仕上げ、金色仕上げ、サイケデリックなペイント仕上げ、チタン鏡胴仕上げなどのバリエーションを増やす予定だそうで、日本で焦点工房が販売するとなると10万円強となるようですが、中国を含めて海外の市場でどのように受け入れられていくのか興味は尽きません。

)^o^(  2020.09.22

キヤノンEOS R5を使ってみました

 キヤノンの最新ミラーレス一眼「キヤノンEOS R5」が7月30日に発売になりました。今回「EOS R5」と引き続く「EOS R6(8月27日発売)」は、一昨年来の各社のミラーレス新製品ラッシュでいささか疲れましたので、現物を見ないで勝手に『ミラーレス一眼、次の方向が見えてきた キヤノン』というタイトルで、キヤノンニュースリリースとホームページの技術情報を読むだけで、レポートを書き上げるという暴挙に出たのですが、アクセスカウンターによると5,000人ぐらいの方が見に来てくれたようで、それなりに興味持っていただけたのだと満足していました。ところがそのレポートを読んだわがスポンサー氏は、今まで継続してやってきたことを休むのは良くないから、買いましょうとなったのです(どうやら8k動画に興味があるようです)。小売店への購入依頼は少し遅れましたが申し込むと、当初はバックオーダーが多すぎて3か月待ちだと伝えられましたが、どうにか8月20日には手にすることができました。というわけで、早速「EOS R5」をレポートします。

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≪今回はEOS R5ボディに新しいレンズをということで、RF15~35mm F2.8 L IS USMを購入しました。すでにRとRPの時にRF24~105mm F4 L IS USMとRF35mm F1.8 MACRO IS STMは入手しているのです≫

 

■外観から見てみると

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≪回転収納式の背面液晶は先行のEOS R、EOS RPと同じです≫

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≪バリアングル的に使うにはこのように回転させます≫

 ところでEOS R5はEOS Rの発展機であり、上位機種であることは間違いと思うのですが、すでにEOS Rを使っているユーザーだとこの上の写真を見るとあれっと思うのではないでしょうか? EOS Rでトップカバー背面右肩の位置にあった“M-Fnバー”と呼ばれる新しいスイッチがなくなってしまったのです。その代わりに中央押しも可能な“マルチコントローラー”と呼ばれるボタンが新設されたのです。企画時にいろいろと議論されて良かれと新規採用した“M-Fnバー”でしょうが、個人的にもまったくなじめる機構でなかったために私は不使用のままやり過ごしてきましたが、EOS R5の“マルチコントローラー”は視覚的にも操作的にもマニュアルを読まなくても直感的に操作できるのはすごく良いです。それにしても、あれだけ新規軸として打ち出した“M-Fnバー”を、次期モデルではなかったことにする思いっきりの良さはキヤノンらしく素晴らしいです(皮肉ではありません)。

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 ≪左)電源をOFFにしてレンズを外すとシャッター幕が閉じているので、気持ちとして楽になります。電源ONのままレンズを外すと撮像面がむき出しになるので注意が必要です。レンズ交換式のミラーレス機としてシャッター幕が閉じるのは、先代のEOS R以来のセーフティー機構ですが、大口径、ショートフランジバックならではのメカニズムで、フィールドでのレンズ交換が気分的に手軽に行えるのです。右:記録メディアはCFexpressカードとSDカードの2スロット式。写真は間に合わせにXQDカードとSDカードを軽く差してありますが、CFexpressカードとXQDカードは外形は同じですが、別物なので要注意≫

 

■「キヤノンEOS R5」の特徴

 「キヤノンEOS R5」の特徴を見てみますと、4,500万画素の撮像素子、電子シャッター使用時最高約20コマ/秒、機械シャッター/電子先幕使用時は最高約12コマ/秒の高速連続撮影が可能、約100%の広範囲AFエリア、常用最高ISO感度51200、レンズとボディ側との相助作用による最高8.0段手ブレ補正効果、手振れ補正機構内蔵の交換レンズでも5軸の手振れ補正が可能、8K/30P・4K/120Pの動画撮影可能などがうたわれていますが、ここでは実写から、私の興味ある部分を中心に取り上げてみました。

■実写から見るEOS R5

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≪いつもの英国大使館正面玄関:焦点距離35mm、絞り優先AE、F5.6・1/640秒、Auto-ISO100、AWB≫ 手にした翌日だけ晴天の青空となりましたが、以後天候には悩まされました。天候にもよりますがEOS R5の発色傾向は全体的に淡いライトな感じで、左のオレンジ色の車止めポールからもその傾向は読み取れます。撮影時刻は晴天に日の朝10時30分ごろ、春夏秋冬一貫した条件です。その日の天候にもよりますが、EOS RやRPより柔らかく感じられますが、最初のカットなのでもっと撮り込まないとわかりません。

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 全体画面の中央上部を解像感はレンズの解像力によるところが大で、単焦点のRF35mmF1.8 Macro IS STMを使えばもう少し切り立った描写になると考えます。とはいっても、画素等倍に伸ばすようなプリントは通常はありえないのでA3ノビやA2程度ではプリント上は大きな差は出ないと考えられます。調子の再現は全画面からも読み取れましたが、特別に白飛びしているところもなく全体的に柔らかく見えます。

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焦点距離15mm:絞り優先AE、F5.6・1/640秒、Auto-ISO100、AWB≫ 焦点距離を変えても露出は変わりませんでした。少なくともこのカットから見る限りRF15~35mm F2.8 L IS USMレンズの直線性は良いようです。

 

■ランダムに撮影してみました

 撮影は、極端に細かくアングルの変化を避けなくてはいけない場合には、三脚で位置固定して行いますが、最近はすべて手持ちで行うようにしています。もちろん掲載カットは手振れなどが起きていないベストのものを選ぶのですが、仮にブレの要素が加わっても、手振れ補正機構で吸収できる範囲だと考えるし、画質に影響が出てもそれがカメラとレンズの実力だと思うのです。

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≪いつものマンション:焦点距離24mm、プログラムAE、F7.1・1/400秒、Auto-ISO100、AWB≫ このシーンで見るのは中央のマンションのタイルの地肌の解像感と左右のビルの調子再現です。ここ数年この場所で同じように撮影してきているので半ば第2チャート化していますが特別問題ない描写です。中央と右の上に立つアンテナ避雷針を画素等倍まで拡大して見ると色収差の発生もなく、ポールの丸みを感じさせ、それぞれが細かく解像し、細かな色も分離して見えますのでなかなかな描写です。

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 いつものマンションの画像を画素等倍に拡大して中心部を切り出してみました。基本的にはこのような状態ではレンズの解像力が大きく関係してくるのですが、必要十分な解像感といえるでしょう。

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≪遊具:焦点距離35mm、プログラムAE、F6.3・1/320秒、Auto-ISO100、AWB≫ さまざまな色に塗り分けられた遊具、自然の緑など、取り立てて誇張された派手な発色のない場面ですが、落ち着いてみることができます。このレンズの焦点距離35mmはズームレンズとしてみるとテレ端になるわけでして、手前の遊具のポール、背後のビルを見るとズームレンズのお約束通り、わずかに糸巻き型の歪曲が認められます。

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千鳥ヶ淵のお堀:焦点距離15mm、プログラムAE、F6.3・1/320秒、ISO100、AWB≫ 風のない晴天の昼下がりですが、やはり全体に落ち着いた色調で、色づくりがかつてのキヤノンとは異なるやさしい描写です。

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≪彫像:焦点距離29mm、プログラムAE、F4・1/125秒、Auto-ISO100、AWB≫ 四季を通じてこの場で撮影することが多いのですが、ほとんどの場合彫像が黒くつぶれてしまうことが多いのですが、像の日の当たった部分は白飛びがなくぎりぎりの描写です。撮影はAFですが、この場合ピントは背後のサクラの木の葉に来てました。

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≪写真展にて:焦点距離35mm、プログラムAE、F3.2・1/30秒、Auto-ISO200、AWB≫ 天体写真とネコ写真をライフワークとする山野泰照さんの写真展会場にて、画面右端に立ってもらいシャッターを切りました。顔認識+追尾優先AFですが、このポジションでシャッターボタン半押しで山野さんの眼鏡越しの目を瞳認識し、合焦してます。焦点距離35mmでF3.2だと右腕袖から先はぼけています。瞳認識AFはすっかり人物撮影においては不可欠な機能となりました。なおEOS R5の瞳認識は動物にも対応することになりました。なお写真展会場での撮影では、どの社のカメラでもその場の光を使うとこんな色調になります。自然な発色を望むときはレタッチソフトで自動レベル補正か自動カラー補正を使えば一発で補正されますが、ここではそのまま掲載しました。また露出レベルも顔でなく背景の壁に合うことが多く、少しばかりトーンカーブを持ち上げてあげないと顔がつぶれるのですが、本機ではそのようなことはなく、そのままの露出レベルです。

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≪自分の顔を写してもらいました:焦点距離35mm、プログラムAE、F2.8・1/30秒、Auto-ISO800、AWB≫ 他の人を載せるだけでなく自分の顔もアップしました。山野さんのシーンもそうですが、プログラムAE時は“1/焦点距離”までは絞りで制御して、それ以上暗くなると自動的に感度がアップしていくわけで、山野さんの場面は写真展会場で明るかったのでISO200となり、喫茶店の店内のここではISO感度800となりました。撮影は顔認識+追尾優先AFでしっかりと向かって右の目にフォーカスしてます。

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≪英国大使館脇の歩道で:焦点距離35mm、プログラムAE、F5・1/200秒、Auto-ISO100、AWB≫  歩道わきに生える植物の葉にピントを合わせてシャッターを切りました。 背景のボケは、とくに癖もなく素直です。

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 ピントの合った部分を画素等倍にして切り取りましたが、文句ない解像です。画素等倍は実用的でない拡大率ですが、近距離での撮影で、ここまで拡大すると絞りF5でもかなり深度は浅く見えます。

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≪お花畑で:焦点距離15mm、プログラムAE、F5・1/200秒、Auto-ISO100、AWB≫ 焦点距離15mmという広角を活かし、かつ自然な感じで撮れる場所を探しました。撮影された画像から視覚的に見ると、お花畑の向こうに鎮守の森があるような感じですが、一番手前の黄色い花から、奥の森までは距離にするとわずかに20mというぐらいです。ピントは中央の森に合わせてありますが、拡大すると葉が1枚ずつ解像していますが、森を離れた左右の木々は大きく拡大すると解像していません。ここがデジタル写真ならではの事であり、焦点距離15mmでF5という明るさで、基本的に背後の被写体は過焦点距離内として全体にピントがきているのではないかと考えるわけですが、厳密にはピントが外れているのです。被写界深度を計算でだすことも当然可能ですが、許容錯乱円をどの程度に設定するかということ以上に、高画素機での大伸ばしは難しさをもっています。

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≪醤油屋さんの店頭:焦点距離18mm、プログラムAE、F2.8・1/60秒、Auto-ISO2500、AWB≫  直線性の良い写真が撮れるレンズなので、古い味噌・醤油屋さんの 店頭を写させてもらいました。こういう画面では、解像特性が高いのはいうまでもなく、直線性の良いデフォルメ感のないレンズなので自然な感じに撮影できています。

 

■最高8段の手振れ補正効果とISO感度51200を試す

 EOS R5は、レンズとボディ側との相助作用による最高8.0段手ブレ補正効果、常用最高ISO感度51200とうたわれています。実際どのように写るか試してみました。

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≪水車:焦点距離24mm、絞り優先AE、F22・0.6秒、Auto-ISO100、AWB≫ 最高8段の手振れ補正を活かした撮影ということで考えました。通常の撮影では、ゆっくり回る水車は写し止められてしまいますが、ここではあえて絞りを最小のF22に設定し0.6秒というスローシャッターで狙ってみました。結果はまずまずで、背景と手前の水車との輝度差が大きくて、背景が露出オーバーですが、水車から流れる水は白く糸を引いたように写せました。本来なら定番の新緑の奥入瀬渓谷の水の流れを追うようなシーン、地下駅広場など雑踏での人の動きを流すような撮影の時などに効果を発揮する技法ですが、手持ち撮影で行えるところが、まさに最新のカメラ技術の応用といえます。

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≪1秒手持ち撮影:新宿ゴジラ通り、F18・1秒、ISO100、-1EV露出補正≫ 東宝シネマの屋上にいつもならスポット照明されたゴジラがいるのですが、コロナ禍の自粛で照明は点灯されていません。しかし定位置であるために、あえてそのまま撮影しました。なぜ1秒かということですが、他社機種ユーザーには2~3秒を手持ち撮影できたと自慢する人もいますが、仮にそれが事実としても私の能力としては1秒が限界ではと考えて、1秒となる絞り値を選択しました。シャッターを切った後には“BUSY”とファインダー内に表示され、ノイズキャンセル処理をやっているのがわかります。このサイズからはわかりませんが、拡大画面はブレていないようにも感じますが、レンズの画質や拡大率によって評価は変わるでしょう。

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ISO感度51200での撮影:新宿ゴジラ通り、プログラムAE、F11・1/1000秒、ISO51200、-1EV露出補正≫ こちらは同じ場所で、ISO感度を常用感度の最高ISO 51200にマニュアル設定して、プログラムAEで撮影してみました。この画面左右640ピクセルへのリサイズ画面では、1秒手持ち撮影もISO感度51200撮影も大きく変わるようには見えません。実際は実用的な写真展示サイズのA3ノビあたりに拡大プリントにするとその差はでるのだろうかと考えます。さらに実際の場面でEOS R5とこのレンズを使いプログラムAEでの撮影では、通常の薄暗い場所での撮影でも最高感度51200まで上がることはないだろうと考えられます。ただ、いずれにしてもいつも見ている感じより少し柔らかい描写のような気がします。これが手振れによるものか、超高感度撮影によるものか、さらには交換レンズそのものの解像特性によるものかは、これらの撮影でははっきりと断定することはできません。ただこのカットは1/1000秒でシャッターが切れていますから手振れ補正の効果を除いて考えても良いと思いますが断定はできません。

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≪画素等倍近くまで拡大して画像の一部をクロップして見ました≫ 左:1秒手持ち撮影、右:ISO感度51200。それぞれが極端に画素等倍という大きな拡大率ですが、ISO感度51200のほうはザラツキがあり、トーンも狭まっているのがわかります。4,500万画素で画素等倍で引伸ばすと横幅で2.9mの大型プリントになりますが、実際は鑑賞距離にもよりますし、プリンター側の画像処理機能も働くので実用上はまったく問題ないということになり、先述のように実際の撮影場面ではISO 51200になる撮影条件は少ないと思われます。

■いつものライカマウントクラシックレンズを使ってみました

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≪左)キヤノン25mmF3.5(1956年製)と右)コシナフォクトレンダースーパーワイドヘリアー15mmF4.5 ASPH.(1999年製)≫

 ミラーレス一眼はフランジバックが短いのが特徴で、マウントアダプターをボディとレンズの間に入れることにより、さまざまな昔のレンズがフルサイズで使えるのが魅力で、かなりの人が最新ボディにクラシックレンズを組合わせて楽しんでいます。このうち一眼レフの場合にはミラーボックス分だけフランジバックが長いので、ほとんどのミラーレス機に一眼レフ用の交換レンズはフルサイズ機でもむりなく使えるのですが、ミラーのないフランジバックの短いライカとその類の交換レンズの、対称型光学系を採用した広角系のレンズには一部周辺減光の問題や色付きがあったりするので、私の使用レポートでは必ずその点をチェックポイントとしてきました。当初は焦点距離50mmぐらいから超広角まで各種ライカマウントレンズを対象にしてレンズの適、不適を見てきましたが、ある時期に撮像素子の形式が変わればレンズ描写も変わるということがわかりましたので、最近ではライカスクリューマウントの「キヤノン25mmF3.5(1956年製)」と「コシナフォクトレンダースーパーワイドヘリアー15mmF4.5 ASPH.(1999年製)」をクリアすればOKというように考えるようにして、チェックを簡略化しました。ということで、早速この2本を持って撮影に出かけましたがどうも天候の関係かスッキリ来ないのです。撮影場面によって、露出が定まらないのです。結局、3か所ほど場所を変えても納得できなかったので、最終的にはいつものYS-11駐機場に行って撮影を終了させました。

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≪Canon25mmF3.5(1956):絞り優先AE、F5.6・1/800秒、Auto-ISO100、AWB≫ 同じレンズでもどうしたのだろうというぐらいに周辺光量の落ち込み、色づきが先行機のEOS RとEOS RPの時よりも極端に少なくなっています。発表の時にはCMOSの撮像方式が、裏面照射タイプとか積層方式になったわけではないと聞いていましたが、CMOSのマイクロレンズの集光特性とか、画像処理エンジンで何か対応したのでしょうか。写真は表現ですから、周辺光量、色づきなど含めてこういう感じが好きという人がいてもおかしくないです。

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フォクトレンダー・スーパーワイドヘリアー15mmF4.5 ASPH.(1999):絞り優先AE、F5.6・1/800秒、Auto-ISO100、AWB≫ キヤノン25mmの時と同様に周辺光量の低下、色づきはありますが、好みの問題としてとらえればそれまでですし、前モデルより格段に変わっている印象があります。ちなみにコシナのーパーワイドヘリアー15mmF4.5 ASPH.は、現在のモデルではMマウント化され、光学系も一新されこのような周辺光量の低下、色づきはありません。

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≪RF15~35mm F2.8 L IS USM:焦点距離15mm、絞り優先AE、F5.6・1/640秒、Auto-ISO100、AWB≫ 今回のRF15~35mmレンズの描写です。露出、発色、周辺光量ともまったく問題ない描写ですが、表現としての描写では上の2点のような描写を好む人がいてもおかしくないのです。

 このほか、参考までにと第2世代6枚玉ズミクロン35mmF2と沈胴式ズミクロン50mmF2では周辺減光、色づきもなく、まったく問題なくアダプターで使用できました

■追いつ、追われる立場にあるEOS Rシリーズ

 キヤノン初のフルサイズミラーレス機が「EOS R」が登場してから約2年半経ち、EOS R5とR6が発売されました。この間さまざまな要因が絡み合い、昨今のカメラ市場の低迷はCP+2020、フォトキナの中止、Stay Homeで外出の自粛などが重なり、かなりつらいものがありました。そのような中で発表・発売された新製品ですが、その発表形式はYouTubeによるオンライン配信という過去に例のない発表会となりました。

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≪7月9日21:00から行われた異例のYouTubeによる発表会のオープニング画面。キヤノン㈱常務執行役員 戸倉剛氏によるご挨拶≫

 各社ともこのようなオンライン発表会は行っていますが、画面左下を見てお分かりのように12,564人が視聴中となっているあたりは、コロナ後のこれからも新しい発表会の在り方を示しているような気がします。

 さて、このような状況下においてキヤノンが市場投入してきた「EOS R5」と「EOS R6」どのような新規性があるのだろうかと、簡単な比較表を作ってみました。これを見ると入れ替わりの新世代機ではなくて、画素ごとのラインとみることもできます。

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 この表からすると、実用的にはEOS R6が、高感度特性、連写速度、手振れ補正範囲などの高さから注目されるボディとなります。もちろん、「EOS R5」は4,500万画素という高画素に加え、8k動画撮影が可能なことなどのプレステージを備えているわけですが、私が注目したのは、『このカメラは画素数では上回っているEOS 5Ds (約5060万画素)をも凌ぐ解像性能を達成しています」とキヤノンはアナウンスしているのです。この点に関しては前回の私の「EOS R5」と「EOS R6」レポートでは、デジタルカメラの解像感は、カメラの画素数・プリンターの解像度に関連するものであって、通常の展示用のA3ノビ、A2クラスの拡大プリントでは、2,000万画素機も6,300万画素機も、その差はわかりにくく、むしろレンズの解像力、ピント合わせの精度のほうが画質向上の構成要素としては大きいということを書きました。

 ところが、今回のキヤノンの解説を読むと『CMOSセンサー、映像エンジン、レンズ、それぞれの性能を余すところなく引き出し、三位一体となってEOS最高解像性能を実現。「解像感」「ノイズ」「光学特性」のすべての要素から画質の向上を図りました。画素数では上回っているEOS 5Ds (約5,060万画素)をも凌ぐ解像性能を達成しています。』となっているのです。このアナウンスにはわが意を得たりという感じがありますが、さらにキヤノンは『ISO12233準拠のCIPA解像度チャートで確認』となっていますから、どうやらCIPA(カメラ映像機器工業会)で規定された条件での撮影解像力を読み取っての結果だと思うのです。そこで改めて5060万画素のEOS 5Ds を引っ張り出してくるのですが、実はこのカメラが発売されたときの使用で気になる画面がありました。それは今回の2番目のマンションの壁面を作例に示した画面中央の画素等倍の部分を見ると明らかに今まで同じ場所を撮影してきた画像とは違い解像感に乏しかったのです。その時点で私はレンズの解像が低いのかなぐらいしか考えませんでしたが、別に使っているユーザーに聞いても何か不思議な感じだというのです。結局それは、ユーザーの知りえない形での画像エンジンの性能が絡んでいたのだなと思うわけです。

 EOS 5Dsの私のレポートは、京都MJのここに示しておきますが、EOS R5のマンションの画も焦点距離24mmで示してありますから、比較してみていただければ納得してもらえるかもしれません。いずれにしても高画素になれば画質が高いという考えが、メーカーと、私のレベルからも見ても同じことを言っているあたりが、興味深い点です。なお今回の撮影では、すべてのカットが破綻なく描写され、念のために主だった画像のヒストグラムを見てみると、黒つぶれも、白飛びもなくきれいに収まっているのが印象的でした。次はどの手で来るのかな、楽しみなことです。

  なお、近日中にはニコンが普及価格で「Z5」を発売、ソニーが「α7S III」に加えミノルタ時代からのAレンズをサポートする新しい「マウントアダプターLA-EA5」を、さらにパナソニックがフルサイズで小型・普及価格の「LUMIX DC-S5」発売するなど、キヤノンとしては追い上げの立場から、追われる立場にもなったわけで、業界としては活性化するのではと思われる反面、この先はますます混戦模様となる気がするのです。  (^^♪