写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

フィルム画像のデジタル化

 2024年の私の考えるカメラ界のトピックスの1つにあげられるのが、『ペンタックス17』の登場です。私の記憶するところでは、2011年に発売された富士フイルムの「GF670W Professional」が、いわゆる日本のカメラメーカーから発売された本格的なフィルムカメラとしての最後だと思っていましたが、リコーイメージングが2024年7月12日に発売したペンタックス17の登場には驚きました。カメラへの評価はそれぞれですが、歴史ある日本のカメラメーカーがこぞってフィルムカメラから撤退していたのに対し、なんと13年ぶりに商品として復活させたのは、歴史的には記録されることだと思います。

 その使用記は「写真にこだわる」でもレポートしていますが、そのカメラ機能がどうかとかいうことではなく、ともかく製造元が明らかで、法的に定められた範囲で、ある期間、修理・補修がなされるというのは十分に価値あることです。このあたり、考え方はいろいろですが、中古なら数万円で済むのにとかいう方もいますが、それとは別な次元の話だと思うのです。ただ私が使ったなかでの困惑は、すべてアナログシステムで通せるのは黒白写真システムだけで、しかも自家処理もしくはレンタルラボを借りるなど、限られた環境の人しかできなく、これをラボに依頼すると資金的にかなり要することになります。カラーにしてもまったく同じで、この辺りは私の書いたペンタックス17のレポートを参照してみてください。

●フィルムからのデジタルデータ化

 そこで考えたのが、時代は変わってきていますが、これからも必要に応じてフィルムは使うかもしれませんが、過去に撮影したフィルムのデジタル化も必要になってくるのです。個人的には、中学生時代からのフィルムを、引っ越しの時に身軽になろうと、少しビネガーシンドロームの影響でか酸っぱくなってきたこともあり、すべて廃棄してしまったのです。

 ところが、かつての収納場所とは別の引き出しを探っていたら、1968年に新宿を撮影した黒白ネガフィルムが1本出てきたのです。せっかくだから、これをデジタル化することにしました。たぶんこれからも、ときにはフィルムで撮影することもあるでしょうし、プリントすることも必ずあるはずで、写真プリントはなるべく自分で仕上げるという少年時代からの考えから、フィルムデータのデジタル化の必要はあるだろうと、新たにそのためのシステムを簡単に組み上げようと考えました。

 個人的には、過去にフィルムスキャナーとしては35㎜専用として「ポラスキャン35」、「ニコンクールスキャンV ED」、フラッドベッドとして35㎜から4×5インチ判までできる「キヤノンの9950F」などを使ってきましたが、デジタル化が進むにつれ、さらにはパソコンのOSに進化、さらにはドライバーの供給がなくなったことにより泣く泣く廃棄処分ということになっていました。

 そこで新たに考えたのが、以下のシステムです。

 これは、写真仲間の懇話会の例会で簡単にプレゼンしたときのスライド画面です。フィルムはコニパンSSで1968年大学生の時代に36枚撮り100円前後と安かったのです。処理は、D-76とD-76Rによる補充法で、当時は希釈という方法はほとんど行われていませんでした。ネガケースは当時渋谷の地下街にあったジャンボープリントセンターが、ゲバカラーフィルムの撤退を受けて、残部を無料で配布していたのを使いました。

 1968年の6月というとアメリカのロバート・ケネディ大統領の暗殺、小笠原諸島の日本への復帰などが行われた時期ではありましたが、私は大学3年にころで、写真仲間とともに新宿の街を撮り歩いたのです。

 ここで大切なのは、かつて資産であったフィルムとフィルムスキャナーを失った状況にあっても、何とかしようとしたのが上の図です。フィルムキャリアは、単にフィルムを挟むものでフィルム画面より少し大きめに穴をあけ、最終的には黒い紙で実画面サイズ分だけ穴を開けた所を上から等倍の撮影ができるマクロレンズで複写するというわけです。ここで、私なりに考えたのは、乳剤面側を撮影するということです。これは、ベース面を通すとそれだけ途中に余分なものが入り込むと考えたからです。ましては、この1968年処理のフィルムというと、ベース面に薬剤が付着していたり、析出していたりすることもあるので、なるべくなら避けようということから行いました。

 光学引伸機の場合もしかりで、最も一般的な集散光式の場合上から見ると、《光源⇒コンデンサーレンズ・防熱フィルター(多階調用、カラー用)⇒フィルム⇒引き伸ばしレンズ⇒印画紙(乳剤面)⇒イーゼル》となり、フィルムは乳剤面を下にして置くわけですから、フィルム画像と印画紙乳剤との間にはレンズしか入らないのです。もちろん散光式の場合も同じわけですから、画像と印画紙面の間には、極力ベース基材やフィルターのような中間物が入らないようにするのが高画質を得るための条件だと考えました。同じように、密着焼き、ベタ焼き、原寸フィルムデュープなども同じ考えで行われてきたのです。とはいってもこれは、あくまでも原則であって、光学引伸機の時代から裏焼きというのは散見していたし、著名作家の写真が正規・裏焼きと両方が出回っていたり、デジタルの場合もフィルムからスキャンした場合には逆に読み込めば、裏焼きも存在するわけです。その点においてはベース面と乳剤面の見分けは必要なわけで、目視によったり、フィルムのカール状態で判断したりと、各人のノウハウだと思います。

 このプレゼンテーションをやったあと、旭光学の元技術者で、フィルムデュープリケーターの開発にかかわっていたという方が、乳剤面から撮ろうと、ベース面から撮ろうと画質の変化はほとんどなかったというのです。1980年代だと思いますが各大学病院の写真室には、ペンタックスのフィルムデュープリケーターが必ず配置されていました。先端に引伸ばしレンズ⇒蛇腹⇒カメラ取付金具と台板という組み合わせで、必要に応じて途中にフィルターを入れて色調整ができるのです。簡単に言えば下から拡散光源が照らす複写台のようなものですね。ただこの時代はデジタルがありませんので、正像を得ようとすると、ベース面から撮影するしかなかったのです。それと、大学写真室の処理は新しいですから、50年以上前のフィルムとはベース面もきれいでしょうし、異なりますね。さらにデジタルで複写後は、裏撮りを正規に戻すのも、ネガポジ反転もレタッチソフトなら一瞬ですからね。画質は、2000万~6000万画素クラスデジタルカメラを使えば、ラインスキャン画像よりもかなり画質は良いと思います。

 以下に、スキャン画像を、ポジに変換して、調子を整えたのをお見せしましょう。1969年の新宿南口近辺です。使用カメラは、1964年の高校時代にアルバイトして買ったキヤノンFPとFL50㎜F1.8です。当時の学生時代には、50㎜標準レンズでどこまで撮れるかというのが、流行ったころです。

 

《新宿・Ⅰ》実験小劇場、モダンアート、触覚派の穴ぐら。入れ替え制の劇場ですね。

《新宿・Ⅱ》60年代後期、横尾忠則の時代だったのですね。

《新宿・Ⅲ》右のお兄さん、アイロン線ぴっちり決めたズボンをはいておしゃれです。

《新宿・Ⅳ》女性の服装から時代を感じさせます。

《新宿・Ⅴ》たぶん、なんだろう?好奇心からシャッターを押したのでしょう。

《新宿・Ⅵ》物価上昇の時代だったのでしょうか、値段は固定できないのですね。

《新宿・Ⅶ》ヌードスタジオの看板です。1人30分800円、2名以上は1人700円に割引。

 1950年代のアサヒカメラにはだいたい似たような価格で広告がでていました。

《おまけ》アサヒカメラ1954年7月号から。あまり値上げされていませんね。

 

●マグネット式のフィルムキャリアを作る

 これで、フィルムからのデジタル化は大変うまくいくことがわかりましたが、やっていてどうも微妙なのがフィルム送りでした。そこで考案したのが、マグネットでフィルムを平面で押さえるキャリアです。

《その1》100円ショップで100円のマグネットシートを購入

《その2》だいたい使用できそうな大きさに切って、片側に刃を入れ折り曲げる。

《その3》35㎜ライカ判フルサイズ用に36+1㎜×24+1㎜ぐらいを目安に2枚重ねたまま、4隅を針で穴を通す。必要に応じて、ミノックス判でも、6×6判でも自在です。

《その4》しっかり固定して、フォーマットに合わせて切り抜く。

《その5》簡単に位地決めできるようにと、白いビニールテープを糊がつかないようにと少し折り込んで完成。

《その6》早速「ペンタックス17」で撮影した黒白ハーフ判ネガフィルムを入れてみましたた。1度に2カット撮影(複写)できるので楽です。昨今の3000万画素以上のカメラなら1カットずつ分離しても十分な解像度を得ることができます。そしてゴム状のマグネットなので、平面性もよく出て、フィルムへの傷もつきにくいのです。

●終わりに

 今回の手作りレポートは、急に思い立ってやったことですが、結果があまりにもよかったので、皆様もぜひということで紹介しました。写真は最も適切な機材でシステムを組み上げるかということが大切だと以前から考えていましたが、改めてその大切さを知った次第です。なお、ネガキャリアのマグネット化は、JCII名誉研究員で元日大芸術学部写真学科教授鈴木孝史先生のベセラー引伸機のアイディアをいただいたものです。