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写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

ニコン研究会「D.D.ダンカンを偲ぶ会」を開催

 去る6月7日、写真家のデビッド・ダグラス・ダンカンが102歳で、フランスで亡くなったことは、すでに一般マスコミなどでも報じられたとおりです。ダンカンはライフのカメラマンとして朝鮮戦争に従軍したときにニッコールレンズを持参して撮影し、その写真が世界に知らしめられたことにより、ニッコールレンズの優秀さが認められ、その後のニッコールレンズの普及、さらには日本製カメラの優秀さを世界に広めたとして知られていました。すでにニコンは6月8日に『デビッド・ダグラス・ダンカン氏のご逝去の報に接して』という哀悼の意を示すニュースレリーズを発表していますが、ニコン研究会は去る6月16日(土曜)に、全世界に先駆けてとして「ダンカンさんを偲ぶ会」を中央区の八丁堀区民館で開催しました。ニコン研究会(会長・小秋元龍さん)は、日本光学およびニコンを専門に研究する日本国内の愛好家の団体で、当日はニコンから後藤哲朗フェローも参加し、デビッド・ダグラス・ダンカン氏の冥福を祈りました。
 開会にあたり、ダンカン氏に哀悼の意を示すために最初に参加者全員で12秒間の黙祷を行い、ニコン研究会会長で報道写真家、元テレビ朝日解説委員の小秋元龍さんよりダンカン氏の代表的な作品の解説があり、引き続きニコンの後藤哲朗フェローから、ダンカンさんが日本に訪れた2001年からの記念写真と思い出が披露され、さらに写真家の田中長徳さんがダンカンさんとニッコールのことなどについて語りました。

≪D.D.ダンカン。2000年3月27日、銀座ニコンサロン「三木淳写真展LIFEの眼 1950年代の日本・韓国・アメリカ」会場にて(photo by YASUNORI Ichikawa,Nikon COOLPIX 900)≫

ニコン・ニュースより
デビッド・ダグラス・ダンカン氏のご逝去の報に接して
2018年6月8日
この度の訃報に接し、痛惜の念に堪えません。
ダンカン氏は1916年生まれ。アメリカの報道写真の第一人者であり、従軍写真家として太平洋戦争、朝鮮戦争ベトナム戦争などを撮影、その作品はニューヨーク・タイムズ紙、ライフ誌などに発表されました。 またピカソの肖像写真の撮影でも知られています。
1950年、ライフ誌の写真家として来日した折、NIKKORレンズの高い性能を見いだし、ニコンが世界に認められるきっかけを生み出した、ニコンにとっての大恩人です。
その後も報道写真家として活躍するダンカン氏とニコンは、長きに亘って絆を深めてまいりました。ここにあらためて、享年102歳のダンカン氏が世界のジャーナリズムに与えた多大な貢献を称えるとともに、互いに一世紀以上を生き抜いてきた盟友として、心からのご冥福をお祈りいたします。


≪黙祷するニコン研究会幹部≫

≪左)集まった会員の皆さん、右)開会のご挨拶≫

≪左)ダンカンと後藤哲朗さん(撮影:現・小野茂ニコン特別顧問)、右)ダンカンとの思い出を語る後藤哲朗さん≫
≪写真左:ニッコールP.C 8.5cm F2(通称ダンカンニッコール)≫
 ところで偲ぶ会の当日は、参加のドレスコードは喪服だろうかと主催者に問い合わせがあったようですが、ニコン研究会によると本格的な喪の会ではなく、平服の普段着で、ダンカンをベースとしたニコンの世界を再確認しようとの趣旨で開かれ、そしてダンカンといえば、レンジファインダーニコンということで、I型、M型、S型各種とカメラ、レンズを持っている人は持参し、往年の銘写真機の存在感を再確認しようという会でもありました。なお、ダンカンは戦争の写真だけでなく、ピカソの晩年を17年にわたり撮影された数多くの写真でも知られています。
 偲ぶ会の終了後には、近所の中華居酒屋でお清めの会も開かれました。 (-_-)/~~~