写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

3冊の写真集「ワシントン広場の顔-1962〜2013」


 ここに3冊の写真集があります。いずれも写真家 渡辺澄晴さんの作品をまとめたものです。一番左から1965年、1992年、2013年の出版です。このうち1965年の最初の『ワシントン広場の顔』を僕が手に入れたのは、45年ほど前の大学生時代の1968年ごろでした。当時、神田神保町の写真専門の古書店で見つけたのですが、たしか700円ぐらい(定価1,800円)でした。同時に土門拳の「るみえちゃんはお父さんが死んだ」が800円ぐらい、田淵行男の「私の山岳写真」が600円だったと思いますが、3冊まとめて購入したのを覚えています。それから17年ほどたった1985年渡辺澄晴さんに、原稿をお願いすることになり、お会いする機会がありました。さらに数年経ち、何度かお会いするチャンスがあり、いろいろお話しているうちに、写真集「ワシントン広場の顔」を出版した渡辺さんであることを確認し、僕が所有していることをお話したら、えらく喜んでいただきました。撮影された1962〜1964年当時、渡辺さんは日本光学工業のニューヨーク駐在員としてアメリカにいて、1964年に帰国していますが、1965年には富士フォトギャラリーで第1回目の個展を開いています。当時、写真家・三木淳氏は、ニッコールクラブ誌で“ワシントン広場の名物男”と題して『向こうからアゴのしゃくれた日本人臭いのが歩いてきた。この男には方々のビートから声がかかるのだ 若いビートの親分はこの澄晴ダンナの子分である 澄晴ダンナが親分に命令すると50人ぐらいのジャリビート」は手足の如く動く』と紹介しています。当時の芸術家村グリニッチ・ビレッジの生活をとらえた写真集だったのです。それから28年目に、渡辺さんはニューヨークを訪れ、ワシントン広場で撮影をして、『ニューヨーク28年目の出会い』と題して2冊目の写真集を1992年に出したのです。僕は、1999年に渡辺さんに1冊目の『ワシントン広場の顔』にサインをしてもらいました。何と発刊から35年後のことでした。そして2013年の11月に渡辺さんは『ワシントン広場の顔 1962-1964/1990/2013』を出版しました。つまりワシントン広場にこだわり50年後に撮影して、さらに出版したわけです。3冊目ではそのこだわりもなかなかで、ディレクションは最初のワシントン広場のブックデザインをされた菊地信義さんが担当されているのです。
 渡辺さんは1990年にニコンを退社、その年にPOS渡辺澄晴写真事務所を設立し、いまに至りますが、現在は日本写真作家協会JPA)の名誉会長を務めるなど、ご活躍の日々を送られています。1928年生まれ、渡辺さんの写真人生はまだまだ続くのでしょう。
 『ワシントン広場の顔 1962-1964/1990/2013』:渡辺澄晴、講談社ビジネスパートナーズ(03-3941-5572)、ISBN978-4-86424-021-5、3,500円+税