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写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

日本カメラ博物館「THE Leica 〜ライカの100年〜」展スタート

 日本カメラ博物館の特別展「THE Leica 〜ライカの100年〜」が10月29日から2014年3月2日まで開催されています。なぜいまライカ展かということですが、今から100年前の1914年、ウエッツラーにある、エルンスト・ライツ社で1台の35mm映画フィルムを利用する小型カメラが、オスカー・バルナックにより作られました。これが「ウル・ライカ」と呼ばれるものです。つまり、今年から来年にかけては、小型・精密カメラの「ライカ」が誕生してからちょうど100年経った記念すべき年なのです。それから9年経った、1923年にオスカー・バルナックは量産試作機ともいえる0型ライカを約30台製作しました。この製造台数は諸説あり、25台とも、27台ともいわれてます。この0型は、シリアルNo.110と刻まれた博物館所蔵品が会場に飾られています。

 0型ライカを製作した1923年の翌年の1924年、エルンスト・ライツII世とオスカー・バルナックは、ライツのカメラということで「ライカ」を製造することを決意して、翌1925年に「ライカI(A)型」を発売しました。

 以後、距離計を組み込み、レンズ交換が可能となり、1954年にはスクリューマウントからバヨネットマウントの「ライカM3」が発売されて、今日のレンジファインダー式ライカが完成の域に達するわけですが、この間ライカ判と呼ばれる35mmフルサイズ24×36mmの画面サイズが生みだされ、標準レンズ50mmへの考え方などすべてはライカに端を発しているわけでありまして、戦前・戦後を通じて、さらにはフィルムカメラの時代からデジタルの時代まで、日本がカメラ王国と呼ばれるようになって久しいわけですが、ライカに追いつき、追い越せがかつてはスローガンでもありましたが、数・金額は別にしていまなお独自のポジションを保ち、日本は世界的にも多くのライカファンを、現在でも擁しているのもライカならではのことです。 今回の展示では、日本においてライカの与えた影響力、というようなことで写真作家の所有していたライカ、戦前戦後を通じたライカ関連のカタログ、ライカコンタックス論争時のシュミット商店の「降り懸かる火の粉は払わねばならない」の名パンフレットなどのほか、写真集、書籍、さらには作品なども展示してありますが、これらは日本カメラ博物館ならではのものです。
 なお、ライカは2006年にAPS-H(1.33)の「ライカM8」、2008年にライカ判フルサイズの「ライカM9」、2012年にはライブビュー・HD動画撮影可能な「ライカM」を発表していますが、会場では最新の「ライカMモノクローム」「ライカM-E」のほか、1996年に国内では1台しか発売されなかったスキャニングタイプデジタルカメラ「ライカS1 Pro」など歴代デジタルカメラも展示されています。

 また、展示にあたっては、ライカのパノラマカメラ試作品、1937年ヒンデンブルグ号の炎上の後に発見されたライカIIIa、氷河から発見されたライカ、戦時中空母に乗っていて撃沈され海を渡った船山克氏のライカ、今話題の陸軍登戸研究所の備品であった「陸登研 二科」と刻印された「ライカレポーター(250)」など、さまざまな歴史を刻んできたライカが展示されています。

 このほか会場には、オスカー・バルナックがウル・ライカで撮影したウエッツラーの街を、2010年に訪れて、ラーン川の洪水、アイゼンマルクト広場、エーゼル小階段など“100年前と現代を比較撮影”した写真も展示され、ライカに通じるヨーロッパの文化を感じさせてくれます。さらにオスカー・バルナック、エルンスト・ライツ、マックス・ベレークの墓の写真なども展示されています。なお、ライカを持参された人は、200円で入館できます。また、会場で販売されている図録には、最新版のライカシリアルナンバーリストが掲載されてます。

 ■「ハービー・山口 ライカを語る」講演会
 会期中の12月8日には本展示の関連イベントとして、現代のライカ使い第一人者であり、高校生から団塊の世代まで幅広い方々に人気のある写真家ハービー・山口さんの「ハービー・山口 ライカを語る」と題した講演会も開かれます。お申し込みは、リンクをご覧ください。