写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

MADE IN OCCUPIED JAPAN (その2)

 今年も8月15日を迎え、68回目の終戦記念日となりました。それぞれの思いはそれぞれにということでしょうが、僕としてはこれを機会に、改めてオキュパイドモデルのカメラを紹介いたします。これは1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効したのを機に、日本が占領下でなくなり、戦後それまで日本からの輸出カメラには「MADE IN OCCUPIED JAPAN」と記されていました。そのことは、すでに今年の4月28日のブログにMADE IN OCCUPIED JAPANとして掲載しましたが、その後写真仲間が、さらなるOCCUPIED MODELを見せてくれましたので、改めてMADE IN OCCUPIED JAPAN(その2)として紹介しましょう。
 
 【Snappy、スナッピー】小西六写真工業が1949年に発売したレンズ交換式の超小型カメラです。小さいからおもちゃカメラと思われるかもしれませんが、かなりしっかりと作られており、当初は輸出専用機であったのが国内でも発売されたと記録があります。僕の写真仲間である神原武昌さんのお宅の所有で、しっかりと交換レンズの化粧箱には神原と墨で名前が大きく書かれており、当時は高価で大切に扱ったのではないかと考えられます。標準レンズはオプター25mm F3.5、マウントはスクリューで、望遠レンズとしてCherry Tele 40mmF5.6が用意され、フィルムは裏紙付きの16mmを使いました。現在はフィルムの入手は不可能なので、撮影は難しいですが、画面サイズが14×14mmなので、ミラーレス機の「ペンタックスQ」ならマウントアダプター(製品はありません)を介せば、交換レンズは使えるでしょう。写真にある2枚の座板は、固定焦点式の25mm標準レンズとボディの間に入れてピント調節を行うためのものです。ボディ背面右下のシボ革に“MADE IN OCCUPIED JAPAN”と刻印されていますが、小さいこととエンボスが浅いのであまり目立ちません。



【CanonIIB、キヤノンIIB】日本における精密高級レンズ交換式距離計連動として知られているのは1936年に発売された「ハンザ・キヤノン」です。このときから戦後1946年に発売された「戦後普及型」まで7機種の標準レンズは、いずれも50mmのニッコールレンズでした。同年1946年に発売された「SII型」から初めてキヤノン製のセレナー50mmF2と50mmF3.5が用意されました。このSIIレンズマウントは独自寸法によるスクリュー式でした。戦後間もない食料難に喘いでいた頃、戦勝国からさまざまな援助物資が寄せられていて、カメラは援助物資に対する恰好の見返り品として、主に在日駐留軍将兵向けに国内輪出の形で販売され、輪出品の第1号、輪出の花形として脚光を浴びました。このため、国策的に金属材科やレンズ材料、電力、燃料などの優先供拾を受けたそうです。この次期モデルが、ここに紹介する1949年に発売された「IIB型」で、このボディからレンズマウントはライカ規格のスクリューマウントになりました。そしてこのIIB型にもOCCUPIED MODELが存在しました。この個体は、写真仲間の三橋さんが中古で購入したそうですが、もともとこのような状態だったようですが、しっかりと作動するのでいまでも現役機として使っているとのことです。このボディの底蓋にはしっかりとMADE IN OCCUPIED JAPANと記されています。その真上にはひし形に囲まれて“シー・ピー・オー”と片仮名で刻まれていますが、これはアルファベットで“CPO””と刻されているのもあるようですが、米軍の物資を調達する部門であった中央購買局=Central purchase Officeの略で、米軍属向け免税品の、一般への横流しを防ぐために刻されていました。
  OCCUPIEDモデルはまだまだありそうですので、違うモデルを拝借できたら追加で紹介します。