写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

ライカのそっくりさん

 探し物をして、カメラ置き場をひっくり返していたら中国製のライカそっくりさん「上海58」がでてきました。大切なカメラも、ちょっとしたことで下のほうに入り込んでしまうと、なかなか表に出る機会はありません!(^^)!。せっかくだからと、身近にあるライカのそっくりさんを集合させてみることにしました。そこでまずはオリジナルの「ライカIIIa」を加え、さらにロシア製「ゾルキー」、日本製の「ニッカ3-F」を並べて簡単にお見せすることにしましょう。それぞれ僕にとっては思いでがあるものです。このほか「キヤノンP」もあったのですが、わが家のテーブルトップスタジオのバック紙が狭いので、集合は4台しか撮れないのであきらめました。ところで、この種のカメラをなんと呼ぶのでしょうか。イギリスでは“LEICA COPIES”という本(ISBN 1 874485 05 04)が発刊されていて、世界8か国で製造されたさまざまな機種が掲載されています。僕はとりあえず、そっくりさんとしました。なんとなくコピー商品というと、最近のハンドバックや時計などのように、商品の名称そのものまでコピーされていますが、それとも異なるわけですから、きわめて日本的に“そっくりさん”と呼んだわけです。

 ライカとそっくりさんの4台を上の写真に示しました。ご覧のようにそっくりさんであることは、一目瞭然でお分かりいただけると思います。上段がライカ IIIa、下段左から、上海58、ニッカ3-F、ゾルキーです。以下、それぞれの機種について概略を紹介しましょう。
LEICA IIIa  元祖ライカですから、格調高く後列中央に配置しました。レンズは沈胴式のズマール5cmF2がついていて、ボディは1936年に製造されてます。いわゆるバルナック型ライカですから、小型・軽量ですが、最近はほとんど出番がなくなりました。標準レンズのズマールは時々デジタルのM9で使います。このIIIaとズマール5cmの組み合わせとヘクトール2.8cmF6.3は義父の形見です。シャッターは、T.1〜1/20秒、B.1/30〜1/1000秒。

■ NICCA 3-F  日本のニッカカメラが1957〜1958年に製造。フィルム巻き上げはノブ式からレバー式に改良されています。1954年にライカがM3となってバヨネットマウントになり、巻き上げがレバー式となりましたが、ニッカ3-FはライカM3に比べると約3年後の登場ですから、巻き上げがレバー式となるのも当然です。とはいっても、軍艦部のラインはIIIaにかなり似たラインをしています。レンズは、今回紹介では唯一の固定鏡胴のニッコールS・C 5cmF1.4がついていますが、かなりの美品です。シャッターは、T.1〜1/25秒、B.1/50〜1/500秒。このカメラは元感材工業会専務理事の栗田泰さんからお預かりしていたもので、養蜂業を営んでいたお父さんが研究記録用に使われていたそうで、きれいな革ケース、純正フラッシュガン、フィルター、フード、フィルムマガジンなどが箱入りでセットされています。なお、ニッカカメラは、1958年にヤシカの子会社となりその後吸収合併されました。この間、ほぼ同仕様の“ヤシカYE”というレンジファインダー機を発売されています。
■ 上海58  中国製のそっくりさんです。上海58には距離計とファインダーが分かれたライカタイプのI型と、一体化されたII型と2種類あり、II型はさらに製造番号により、IIa〜IId型まで分類されますが、本機はd型です。レンズは、沈胴式の上海50mmF3.5がついていますが、ボディ、革ケースともかなりの美品です。シャッターは、T.1〜1/20秒、B.1/30〜1/1000秒。58型の意味は、1958年に製造が開始されたからで、ここにある上海58-IId型が最終モデルとなり、1962〜63年に製造されています。本機はE社のEDさんが中国へ行った時のお土産としていただきました。

■ ZORKI  ロシア製ライカそっくりさんの代表機種で、1949〜56年の間に70万台も作られたという名機です。このカメラの入手にはちょっとした思いでがあります。1991年のソ連崩壊直後に、モスクワを訪れていた友人のカメラマンHさんが、夜中職場に電話をかけてきて、路上で金色のライカが安く売られていて、明らかに偽物だけど、どうしようかと言ってきたのです。安ければ買ってきてと伝えたら、その「金色ライカ」と元になったカメラだというゾルキーの2台が僕のものとなりました。その受け渡しは、築地にあるマグロの土手鍋屋さんで一杯やりながら行われましたが、湯気がもうもうと立ち上がるなか、目にもまぶしいような黄金色のライカ素手で触って、いろいろとカメラやレンズのみやげ話をたくさん聞いて、すっかりご機嫌になり帰宅したのですが、翌日金色ライカを見てびっくりしました。輝くような金色に陰りがでているのです。さっそく専門家に見てもらいますと、金は素手で触ってはいけないことと、下地処理が悪いので、せっかくの純金メッキもいくら大切の扱っても下地から腐食が進んでくるというのです。当時は金属磨きの“ピカール”を金色ライカとセットして磨き上げていましたが、最近はあきらめて放置していたら、何と緑青が噴きだす始末です。ということで入手から20年近く経ち、今ではオリジナルのゾルキーのほうに愛着があります。レンズはインダスター22で、沈胴式の50mmF3.5が装着され、シャッターは、B.1/20〜1/500秒。ところで金色ライカのレンズはエルマー50mmF3.5であり、革ケースまでLeicaと押されていますが、よく見るとその背後にうっすらとZORKIの文字が見えます。ソ連崩壊で、旧東欧圏にあったライカ、さらにはロシア製カメラや交換レンズが日の目を浴びたのはこの時期ですが、折からのライカブームと相まって、自国のカメラを再加工してライカに仕立てあげるというのも寂しさを感じさせます。時代がそうさせたのでしょうね。
 さて今回は、ここまでとさせていただきます。さらに大きな画像をご覧になりたい方のために、「キヤノンP」を加えてノーカットの詳細版を京都ライカブティックの“ライカに始まりライカに終わる”に掲載してあります。ぜひご覧ください。