4月12日にこの場で「いま僕たちにできること」と題して、3.11大震災後のさまざまな写真関連の動きを報告しましたが、そのなかでフォトジャーナリストであり写真家の新藤健一さんが、国内を含め、海外で震災の写真展を行う予定と紹介しましたが、その第一弾として、9月5日(月)から11日(日)まで東京国際フォーラム(ロビーギャラリーガラス棟地下1階、9:00〜17:00)で『3・11ユニセフ東日本大震災報告写真展』が開かれています。主催は日本ユニセフ協会ですが、写真を撮影した関係社(者)が他に例をみないグループなのです。本来は競合、競争する日本のカメラマン、新聞社が体験したこともない「国難」に写真展開催の基に一致団結したことです。参加社・者を列記してみますと、日本新聞協会加盟の新聞・通信社(25社):朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信、時事通信、産経新聞、東京新聞、中日新聞、岩手日報、岩手日日、河北新報、福島民報、福島民友、東奥日報、デーリー東北、北羽新報、秋田魁新報、山形新聞、新潟日報、茨城新聞、静岡新聞、いわき民報、常陽新聞、千葉日報、埼玉新聞(順不同) 、フリーカメラマン21人:豊田直巳、野田雅也、高橋邦典、上田聡、田沼武能、西宮正明、江成常夫、野澤亘伸、熊切圭介、野町和嘉、桃井和馬、安達洋次郎、鍵井 靖章、花井尊、久保靖夫、細江英公、森住卓、桑原史成、佐々木康、Q・サカマキ、新藤健一、というわけです。つまり、中央紙から地方紙まで25社の撮影した決定的瞬間と、さらに日本を代表するような写真家の撮影した震災報告写真が、作品として一堂に会するわけですからこれはちょっとしたものです。そして僕がもうひとつ感心したことは、日本の代表的な写真家はほとんど現地に出向いて被災写真を撮影していたということです。(※写真は、会場にて左から、安達洋次郎さん、新藤健一さん、細江英公さん)
新藤さんによると
短時間、限られた時間の中で、これだけのスケールで多彩、多角的な写真を集められたことは奇跡ともいえますが、それは修羅場をくぐってきたカメラマンにとっても「伝えなければならない」という「想いと使命感」の結果だったと思います。誰もがこの写真展の意義を感じ、即、協力してくれた。こうしたことは個性の強いカメラマンの世界にあっては異例のことです。もちろん、世界的にもこうしたケースはないのではないかと思います。目前に押し寄せる津波を見ながら被災者を助けられなかった新聞記者はいまもジレンマを抱えています。津波で母を失ったフリーカメラマンは悲しみを乗り越え写真を通じ故郷の復興を願う。被ばくしながらも原発の最前線に入ったフォトジャーナリスト。ニューヨークやリビアから駆けつけたフォトジャーナリストも雪降る被災地に駆けつけシャッタ−をきった。地震直後、ヘリから未曾有の災害の恐ろしさを目撃した写真記者もいました。水中写真家は海に潜り引きずり込まれた家屋や漁船を目前に身震いしました。盛夏、体調が悪かった年配写真家も術後3日で福島を訪れカメラを構えました。人、それぞれに生涯忘れることのできない瞬間を記録しました。しかし被災地の衝撃や惨状は写真や映像だけでは伝え切れません。写真展では表現できない被災者の悲しみ、苦しみや不安そして悩み、夢や希望を感じとっていただき、子どもたちの未来と日本復興の一助になればと願います。(以下略)
ということだそうです。「企画構成・新藤健一」、もちろん多くの個人、団体、企業に支えられてのことでしょうが、改めて新藤さんご苦労さんでした。
◆新藤さんによると、東京国際フォーラムで開催した写真展の入場者は推定25,000〜30,000人だそうで、その後、高須元国連大使から連絡があり、来年3月、ユニセフの大震災報告写真展をNYの国連本部ギャラリーで4週間開催することができるというビッグ・ニュースがあったそうです。