写真にこだわる

写真の楽しみ方それぞれ。デジタルからフィルムまで、さまざまな話題を提供します。市川泰憲

夜の蝶を求めて ZUNOW 50mmF1.1

 例年になく蒸し暑い夏の夜も一休みです。そんなとき、写真仲間のIさんが、2本のレンズを手渡してくれて、どちらもチョウチョがたくさん飛んでるのですというのです。見せてくれた夜景写真には、たしかにたくさんのチョウが夜空を舞っています。写真でいうチョウとは、コマ収差のことでして、主に点光源を撮影したときに目立つのです。レンズはどちらも「ズノー50mmF1.1」でして、1本は帝国光学製で、1本はズノー光学製となっています。社名は変更されていて、ズノー光学のほうが新しいわけですが、この間シリアルナンバーでは300ぐらいしか離れていないので、きわめて製造本数の少ないレンズであることが推測できます。書籍によると、初期玉と後期玉があるそうで、初期玉は1954年に発売され後群がピンポン玉のように突き出ていて使いにくく、後期玉は1955年に新種ガラスを3枚採用して再設計され、最後玉は凹面になっているというのです。その点において、どちらも後期玉のような感じですが、写真をご覧になっておわかりのように少し高さが違うのです。それにもっと驚くのは帝国光学製(右)とズノー光学製(左)では絞りリング回転方向が違うのです。光学系の違いについては良く知られていますが、このあたりに関しては過去の文献に触れられたことはないのです。その違いはということで、まずは写してみるよりしょうがないのです。
 そこで、この後期で新旧2本の「ZUNOW 50mmF1.1」を夜の新宿にチョウチョを写してみようと引っ張り出してみました。ズノー50mmF1.1は、ライカスクリュー、コンタックスニコンS用が製造されましたが、ここにあるのはいずれもライカスクリューマウントであるため、Mバヨネットマウントアダプターを付けて「ライカM9」で撮影しました。撮影では、三脚を立ててボディを固定して、レンズ交換して、絞りを開放F1.1とF2にセットしてシャッターを切りました。撮影距離は、すべて機械的無限遠位置にセットしてあります。絞り込んで、なぜF2なのかということですが、そのレンズの特質を生かしながら画質の向上を目指すには、どのレンズでもだいたい開放から2段ほど絞ったところにあるのです。

△帝国光学ブランド:絞りF1.1開放、1/180秒、ISO160。みごと夜空に画面中心から同心円状にチョウが乱舞しています。チョウというよりはカモメといった感じでかなり大型です。彗星のように尾を引くから、コマ収差と呼ばれているのです。

△帝国光学ブランド:絞りF2、1/60秒、ISO160。絞り開放F1.1を1段絞るとF1.4、2段目でF2となります。それにしても絞り込み2段の効果とはすばらしいものがあります。一般的には、絞ると深度が深くなるわけですが、それ以上に絞込みによる画質の向上を確認できました。上の外観写真で正面向いたのは、どちらも絞り羽根がF2に絞られた状態を見せています。

△ズノー光学ブランド:絞りF1.1開放、1/250秒、ISO160。帝国光学ブランドほどではないですが、やはりかなりコマ収差が発生しています。ただ、このカットに限ることではないないのですが、プリントとしてどのくらいの大きさで見るかによって、チョウの発生具合というか見え方は大きく変わるのです。たとえばL判ぐらいなら単なる点でも、半切ぐらいになるとコマの発生が目に付くとか、さまざまです。

△ズノー光学ブランド:絞りF2、1/90秒、ISO160。F2に絞り込むことの画質向上は帝国光学ブランドと同じような感じです。いずれにしても、レンズの個性を引き出して使うには絞り開放がいいという例を示したことになるでしょうか。
 最後に、この時期夜の新宿には期待するほどチョウは飛んでいませんでした。レンズの性能ではなくて、元となる点光源が震災後の節電による影響で極端に少なくなっていることです。ところで一般論として、レンズの収差にはいくつかありまして、球面収差(絞ると解消)、コマ収差(絞ると解消)、非点収差(絞ると目立たない)、像面湾曲(絞ると目立たない)、歪曲収差(糸巻き型、樽型、陣笠型、絞っても変化しない)、色収差(軸上=絞ると目立たない、倍率=絞っても変化しない)となります。上の写真では極端にコマ収差が目につきますが、実際は、それぞれの収差が複雑に絡み合って1枚の画像を形成しているのですが、単純に特定の◎◎収差の影響とは決めがたいものがあります。それにしても、コマ収差は絞ると解消というわけですから、まるで教科書的な結果が得られたわけです。ズノー50mmF1.1の登場は、当時は画期的なものだったそうです。新聞社が夜景を撮影するためにこぞって求めたようで、海外からも注目を集めましたし、当時の皇太子にも献上されました。このレンズがきっかけとなって戦後の国産各社の大口径レンズ時代がやってきたわけですが、帝国光学としては計算によりレンズ設計をしたのでなく、図面を書き、試作して、繰り返していくという作業で作り上げたようですが、性能のばらつきも含めて、職人気質を感じさせるレンズでもあります。